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【広報ふじ平成10年】特集 曽我物語

 1192年、征夷(せいい)大将軍となった源頼朝はその翌年、富士の裾野で大規模な巻狩りを行いました。その一行にまじり、父親のあだ討ちを行った兄弟がいました。それが曽我十郎祐成(すけなり)と曽我五郎時致(ときむね)の兄弟です。
 兄弟のあだ討ちは、兄弟の祖父、伊東祐親(すけちか)と工藤祐経(すけつね)の相続争いが原因でした。不満を抱いた祐経が、家臣に祐親と祐泰(すけやす)親子の暗殺を命じました。祐親暗殺は失敗しましたが、兄弟の父である祐泰は殺されてしまいました。父を殺された悲しみから、幼い兄弟二人は、どんな困難にも耐えていつか必ずあだ討ちをしようと心にかたく決めたのです。
 数年後、巻狩りという絶好の機会がとうとう訪れました。青年に成長していた兄弟は、巻狩りの騒ぎに紛れ、父のかたき工藤祐経を討ち取ったのです。しかし、長年の思いは果たせても、鎌倉時代にあだ討ちは禁止されていたので、兄弟はそれぞれ処刑されてしまったのでした。
 しかし、兄弟二人で長年の苦難を乗り越えてのあだ討ち事件は、人々の同情や共感を呼び、文芸演劇の世界にまで広がっていきました。さらに、美男子で大柄だったという十郎と、踊り子でとても美しかったという虎御前の悲しい恋愛もますます人情をあおることになりました。そして多くの人に脚色されながら、「曽我物語」として数々の遺跡とともに今に残っています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 兄・十郎
( 写真説明 ) 弟・五郎


 文学や歌舞伎の世界で有名な曽我物語。兄弟の親を思う気持ちと兄弟愛は、時代を超え私たちの心を強く打ちます。
 今回は、とら年生まれのお二人に、鷹岡地区を中心に曽我物語ゆかりの地を訪ねていただきました。

●曽我八幡宮(厚原)
幼い兄弟がいつか親のかたきをとろうと誓い合う像が立っています
- 写真あり -

●曽我寺(久沢)
兄弟の菩提寺(ぼだいじ)である曽我寺。兄弟が仲よく並んで葬られています
- 写真あり -

●虎御前の腰掛け石(伝法)
十郎の恋人・虎御前が兄弟の悲報を聞き、崩れるように腰をおろした石が残っています
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- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図


曽我寺奉賛(ほうさん)会会長 芦澤秀雄さん(久沢) 大正15年生まれ
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 曽我寺の隣で生まれ育ったので、お寺の境内は遊び場でした。よくめんこやこまで、日が暮れるまで遊んだものです。曽我物語の内容は幼いころ聞かなかったけれど、曽我寺には親孝行で仲のよい兄弟が祭ってあることは知っていました。
 兄弟の命日は5月28日とされていて、毎年この日に近い土曜日に供養祭を行います。しかし、曽我寺に安置されている十郎の位牌には5月28日、五郎の位牌には5月29日に没したと記されています。兄弟は同時に処刑されたわけではないようです。
 供養祭は70年以上の歴史があり、奉賛会は地区の人たちと協力しながら祭りを盛り上げる手伝いをしています。特に武者行列は好評で、たくさんの人が見に来てくれますのでやりがいがあります。これからも、曽我兄弟を通して「親を思う心」「兄弟愛」の大切さを伝えていきたいと思います。


富士の茶娘 守屋陽子さん(石坂) 昭和49年生まれ
- 写真あり -
 小学生のころ、自由研究で曽我物語を取り上げたことがあり、知っているつもりでしたが、まだまだ物語の奥は深いですね。
 女性としてはやっぱり、曽我物語のあだ討ちそのものよりも、十郎と虎御前の悲恋に興味を引かれます。

お知らせ
 この曽我物語に現代風のアレンジを加えた市民創作ミュージカル「新・曽我物語 名残りの小袖(こそで)」が11月1日にロゼシアターで上演されます。
 詳しくは広報ふじでお知らせしていきます。御期待ください。
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