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【広報ふじ平成9年】富士の民話あれこれ

親孝行な重介
 天間南にある畑の中に、重介(じゅうすけ)のお墓がひっそりと建っています。親孝行と一口に言ってもなかなかうまくできないものですが、母と二人暮らしの重介は、評判の親孝行者だったということです。
 今回は、天間に伝わる親孝行な重介のお話です。

 昔、天間に重介という男の子がいました。重介が3歳のときにお父さんが病気で亡くなってしまい、お母さんと二人で暮らしていました。
 ところが重介が6歳のとき、お母さんが突然重い病気にかかり、目が見えなくなってしまいました。重介はまだ小さいのに、お母さんの面倒を見たり、お母さんの分まで仕事をしたりしなければならなくなったのです。よその家の手伝いをして、お米やみそ、野菜などをもらって生活をするようになりました。近所の人はそんな親子を気の毒に思い、ときどき食べ物を届けていました。
 重介が9歳のときです。高熱が続いて働けなくなり、食べ物が何もなくなってしまいました。そのとき、目の見えないお母さんが近所の人に助けてもらおうと外へ出かけようとしました。それを見た重介は、お母さんを引きとめ、ふらふらしながらもよその家へ行って手伝いを始めたのです。これを見た近所の人たちは強く心を打たれ、いろいろなことで重介親子を助けてあげました。
 その後、昼間は仕事をし、夜はお母さんをいたわる重介のことが殿様の耳にまで届きました。殿様は重介にとても感心し、たくさんの褒美をくださったそうです。
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( 写真説明 ) 静かにたたずむ重介とその母のお墓


前天間北1区区長の 榊原 安三(やすぞう)さん(天間)
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 重介という人は、望月但馬守(たじまのかみ)久吉という武士の子孫とも伝えられているようです。61歳で亡くなった重介のお墓は、お母さんのお墓と仲よく並んで建てられています。
 鷹岡町史によれば殿様というのは水野忠友で、親孝行な重介の表彰は天明8年(1788年)9月に行われたということです。また、宮刻孝義録(かんこくこうぎろく)という孝行者ばかりを集めた本にも重介のことが掲載されているそうです。
 最近でも、この親孝行な重介の話は天間地区のPTAや子供会で取り上げられることがありますし、ほかの地区の人が重介のお墓を訪ねてくることもありますよ。
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