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【広報ふじ平成8年】富士の民話あれこれ

平四郎のスイホシ
 富士市の東側に位置する浮島沼は、大雨が降ると湖のようになってしまったり、わずかな高潮で海水が逆流したりして、周辺の田畑に多くの被害を与えてきました。
 そこで昭和18年に完成したのが「昭和放水路」。今回は、江戸時代に浮島の水田を水害から守ろうと、私財をなげうって「スイホシ(水干)」という放水路を手がけた偉人のお話を紹介します。

 その昔、全国でも有数の湿地帯として知られていた浮島沼。愛鷹(あしたか)山を源とするさまざまな川がこの沼に流れ込み、沼川を経て田子の浦港へ注がれます。しかし、海面との標高差が少ないため、わずかな高潮で海水が逆流してしまい、農民たちに多くの被害を与えました。
 そのため、「汐(しお)土手」という堤防ができたのですが、大雨が降ると潮のようになってしまい、作物がすべて水没してしまいました。
 そこで立ち上がったのが、増田平四郎という一人の男。今から約150年前のことでした。天保の大飢饉(だいききん)をきっかけにして、乎四郎は放水路をつくり、沼の水を直接海へ流すことによって田を広げ、水害から田を守ろうと考えたのです。
 しかし、平四郎の考えは村人から反対され、協力してもらえませんでした。韮山の代官所へも何回となく訴え続け、初めて訴えを出してから19年後の1865年に、ようやく代官所から許可をもらい、工事を始めました。そして、強い潮風に苦労しながらも、1869年に「スイホシ(水干)」と呼ばれる放水路が完成したのです。
 しかし、その年の高波によって、跡形もなく壊れてしまい、その後、再び直すことはできませんでした。
 それから74年後の1943年(昭和18年)、同じ場所に放水路が完成しました。それが現在の昭和放水路。浮島沼の開拓に大きな役割を果たしています。
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浮島周辺の郷土史に詳しい
梅原聡哲(としのり)さん(田中新田)
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 浮島沼と海との間に松林が広がっています。松の切り株の年輪を調べてわかったことなんですが、このあたりの松は普通の樹木と逆で、しんが南側に片寄っています。これは、南からの強い潮風に耐えて成長しているからだと思います。
 これほど風の強い地域ですから、高波もしょっちゅうです。まして江戸時代に放水路をつくるなんて、波や風に阻まれてかなりの苦労だったと思いますよ。
 現在の放水路や堤防が果たした役割はもちろんですが、強い潮風や高波から、住民の生活と田畑を守ってくれている松の偉大な力にも感謝したいですね。
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