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【広報ふじ平成7年】富士の民話あれこれ

帳ヶ塚
 大渕の落合町にある小高い丘に「帳ヶ塚」の碑と供養塔が建っています。
 これは、自分の身の危険も顧みず、年貢を軽くしてくれと、代官所に願い出て、死罪となった落合の名主、新右衛門を供養したものです。
 今回は、帳ヶ塚の近くにお住まいの勝亦吉信(よしのぶ)さんから、お話を伺いました。

 江戸時代は年貢が厳しく、飢饉(ききん)があると、農民は食べるものがなくなり、多くの人が飢えで亡くなりました。
 今から約210年前のこと、落合の名主、新右衛門(しんえもん)は、日ごろから村の作高と年貢の関係を詳しく帳面につけ、年貢がしっかり納められるよう調べていました。ところが、大きな飢饉が、この地方を襲いました。後に言う天明(てんめい)の大飢饉です。
 新右衛門は、領主に「年貢を軽くしてほしい」と再三願い出ましたが、「年貢米は、決められたとおりに納めろ」と聞き入れてもらえませんでした。そのため、新右衛門は仕方なく、落合、中野、片倉、三ッ倉の四ヵ村の代表として、訴状を持って江戸に旅立ったのです。
 しかし、何日経っても、新右衛門からの連絡はありません。そして1か月後、新右衛門の死が伝えられました。新右衛門は、直訴(じきそ)の罪で、よく調べられることなく、打ち首になったのです。
 ただし、新右衛門の死はむだにはなりませんでした。新右衛門が持参した書類を後から役人が読んで、年貢が軽くなったのです。
 村の人たちは、村の小高い丘の上に、訴状の下書きや血判状の控え、新右衛門の日記などを埋めて供養塔を建て、「帳ヶ塚」と呼んで後世まで供養したのでした。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 新右衛門の供養塔「帳ヶ塚」


勝亦吉信さん(落合町)
- 写真あり -
 昭和54年に「帳ヶ塚」を整備する目的で、供養塔の下を掘り返してみましたが、訴状の下書きや血判状の控えなどは、出てきませんでした。何しろ200年も前のことだから、紙が土にかえってしまったのではないでしょうか。
 今では、毎年4月の第一日曜日に、お経を上げて供養しています。4、5年前まではお祭りもにぎやかだったんですが・・・。
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