慶昌院の幽霊
中里1丁目に慶昌院(けいしょういん)というお寺があります。このお寺は、弘仁10年(819年)に弘法大師が建て、当時は天念寺と呼ばれていました。 今回は、慶昌院の先代(第30代)住職である磯田英雄さんから、慶昌院に伝わる幽霊のお話を伺いました。
江戸時代初めのころ、各地をめぐっていた駿府の存鯨和尚(そんげいおしょう)は、荒れ果てていた天念寺を見て、その理由を村人に尋ねました。
村人は、「この寺には幽霊が出るので、だれも寄りつきません。どうか幽霊を退治してください」と言いました。
その晩、和尚はお堂で座禅を組んで、幽霊が出るのを待ちました。すると、草木も眠る丑(うし)三つどき(真夜中)、怪しい影が和尚に近づきました。
「わしは、存鯨という坊主だが、そこにいるのはだれか」と静かに尋ねました。怪しい影は、「あなたは、迷えるものを救い、成仏できるように導いてくださるか」と言いました。和尚は、「しかり」と答えました。
鬼の姿をした怪しい影は、たちまち人の姿になって言いました。「私は、源頼朝(よりとも)公の家来で、成田三郎慶昌という者です。私の兄の曽我兄弟は、親のかたきを討ったのですが、殺されました。私も首をはねられるに違いないと思い、切腹したのです。死骸(しがい)は松の根元に埋められ、祭られましたが、戦国の世に寺は荒れてしまいました。どうぞ、私が成仏できるよう寺を再興してください」
和尚が寺の再建を約束すると、成田三郎慶昌の姿は消えました。村人は、改めて丁寧に葬り、供養したということです。
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( 写真説明 ) 成田三郎慶昌の墓。「空忍院殿天念慶昌居士(くうにんいんでんてんねんけいしょうこじ)」と刻んであります。
磯田英雄さん(中里1丁目)
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存鯨和尚(慶昌院初代住職)は幽霊に対し、大きな声で一喝して「悟り」を聞かせたとも言われています。
幽霊とは、人々の迷いの象徴。「悟り」とは、迷いを吹っ切ること。そして、仏は、迷っているものに「悟り」を開かせてくれます。
だから、存鯨和尚は、幽霊としてあらわれた成田三郎慶昌の迷いを吹き飛ばすため、大きな声で一喝したのかもしれませんね。