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【広報ふじ平成7年】富士の民話あれこれ

善得寺
 戦国時代、現在の今泉に善得寺という大きなお寺がありました。また、善得寺の西の方角(上和田町付近)には、善得寺城というお城があったということです。
 今回は、善得寺と善得寺城のお話を紹介します。

三国同盟
 善得寺は、三国同盟が結ばれた場所として知られています。三国同盟とは、駿河の今川義元、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康の三国の武将が結んだ和平協定のことです。今川氏の軍師である太原雪斉(だいげんせつさい)の働きにより実現したと言われています。
 善得寺は、貞治(じょうじ)2年(1363年)に上杉憲顕(のりあきら)の援助を受けて、大勲策禅師(だいくんさくぜんし)が開山した寺で、初めは、福王寺といいました。善得寺という名は、大勲策禅師の死後、改名されたものです。
 その後、何度か兵火のために焼かれ、再建されたり、今泉の寺市場へ移転したりしました。
 しかし、善得寺は、今川氏の官寺となってから、富士川以東における今川氏の拠点として栄えました。戦国時代の富士川以東では、一番大きな伽藍(がらん)(寺院の建築物のこと)を誇ったと言われています。


今川氏の拠点
 善得寺城は、善得寺が今川氏の保護のもとに隆盛を誇ったころ、寺の西方に築かれたと言われています。この城は、今川氏の軍事拠点というより、岳南の地における今川支配の政治拠点としての役割が強かったそうです。
 しかし、現在の地形から城の規模や構造などを推定するのは困難で、その起源や変遷についても不明な点が多いようです。
 善得寺も善得寺城も、今では当時の建築物は一切残っていません。戦国の乱世の中、今川氏の衰退とともに時代の渦に飲み込まれていったのかもしれません。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 善得寺跡にある善得寺公園の「三国同盟の庭」。和平協定を結んだ三国にちなんで、駿河(左)、甲斐(右奥)、相模(手前)産の石を配置してあります。

善得寺祭
3月19日(日曜日)10時〜14時 善得寺公園
●バナナのたたき売り ●けん玉の披露 ●詩吟、民謡、太鼓の披露 ●カラオケ大会 ●投げもち

問い合わせ 今泉公民館 電話51-4200
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