富士市の人口23万1,000人。さまざまな価値観を持ちながら、いろいろな人がこの街で生きています。
今月号は、その人なりのすてきな世界を醸し出しているお二人に、いいお話を伺いました。越紅さんは、学生の集まる談話室で、木又さんのお話は、バラジャムのたっぷり入った紅茶を飲みながら。
学んで帰りたい。日本人のあいさつとサービス精神。
周 越紅(しゅう えつこう)さん(原田・26歳)
- 写真あり -
富士市に行ってみたい。
富士本町通りにある民間語学学校。ここには現在、韓国・フィリピン・マレーシア・中国などからやってきた人たちが、昼間は学校に通い、夜間はアルバイトをしながら日本語を猛勉強中。中でも一番大勢なのが、中国の学生。60人います。周越紅さんもその中の一人。昨年10月、富士市と友好都市提携を結んでいる中国の浙江省嘉興市から来ました。
越紅さんは、杭州師範学院で声楽を専攻。約4年間は、嘉興市で音楽の教諭として働いていました。いつしか、「日本の文化を理解したい。日本語を勉強したい。富士市に行ってみたい」の思いが募ったのは、「友好都市提携に情熱を燃やす父の仕事を見ていたから」。父とは、提携時の嘉興市長だった周洪昌さんです。
5か月間の富士市での生活。勉強もアルバイトも人一倍頑張ってきた結果、ストレスが頭痛や歯痛となってあらわれてきました。
「これは、自分の心の問題。上手に気分転換しないとね」(笑)
一生懸命仕事をする日本
「日本は、中国とは全然違います。感動したのは、とても一生懸命に仕事をすること。最初は、なぜそんなに一生懸命になるのか理解できませんでした。私のこの経験を持って帰れば、中国の経済力はもっと高まるかもしれない(笑)。礼儀やサービス精神も学んでいます。中国人はあまりあいさつをしませんが、あいさつがあると気持ちがいい。「いらっしゃいませ」や「お待たせしました」と、態度も丁寧ですね。でも、日本語は難しい。特に敬語が・・」
日本の歌でおはこは、さくらさくらとゆりかご。レセプションに招かれて、たっぷりとした声量を披露することもしばしば。市内の音楽家とのネットワークも、少しずつ広がってきました。
富士市中をバラの香りで、一つに包み込んでみたい。
木又将実(きまたまさみ)さん(間門・65歳)
- 写真あり -
バラのコレクター
1年365日、バラ栽培の本か写真集を見ない日はないと言う木又将実さん。自宅の庭には、薄いピンクのかぐわしい「ディンティベス」、花びらが明るい赤色の「クリスチャンディオール」、切り花に向く「ローテローデ」など、170種がそろっています。 バラの楽しみ方は人それぞれ。展覧会出品用のバラをつくる人、交配を重ねて新しい品種をつくりたい人、色を組み合わせて花壇を美しく飾りたい人など。「私の場合は、なんでも集めてみたい性分で、緑と花の百科展で珍しい品種を探したり、大学の先輩がやっている千葉のバラ園まで出かけて買ってきます。バラのコレクターとでも言えるでしょうか」(笑)
木又さんは、大学では獣医畜産を専攻。馬や牛・羊など生き物を扱うのが大好きでしたが、バラの栽培も20年ほど前から本格的に始めました。現在では「日本バラ会」の会員でもあり、3年前にできた「富士市バラの会」の中心となって活躍しています。
6割は育てる楽しみ
「バラは10のうち6割までが育てる楽しみです。正月くらいから毎日花壇に入って、大輪に育てようか、どんなぐあいに咲かせようかといろいろ考えます。病気を出さないようにするのも大切で、治療よりもまず予防ですね。春にいい花を咲かせるために、この時期もう一頑張りです。5月の連休ころにつるバラが咲き出して、中旬からが花の盛り。5月いっぱい次々に咲き続けます。
花は、老人ホームの駿河荘や公民館・授産施設つくしに届けていますが、一度はバラの劇場と言われているロゼシアターで「バラの展覧会」を開いてみたいと思っています。富士市中をバラの香りで一つに包み込んでみたい。夢ですね。これは」(笑)