源太坂
スケッチ画と文
富士市美術協会 城所 満さん
富士市国久保1丁目7の3
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図
- 写真あり -
吉原高等学校の西側に、国久保に下る細い坂道がある。ここは根方街道を西に進み、伝法に抜ける古くからの道筋だったのだろうか。
寿永3年(1184年)、当時京を支配していた木曽義仲(よしなか)を討つべく、鎌倉の大軍がこの地を通って行った。「東国より攻め上がる大手(おおて)の大将軍は蒲の御曹司範頼(がまのおんぞうしのりよし)、からめ手の大将軍は九郎御曹司義経(くろうおんぞうしよしつね)、むねとの(主な)大名30余人、都合総勢6万余騎とぞ聞こえし」と、平家物語に記されている。そして、頼朝拝領の名馬をめぐって、佐々木四郎高網(たかつな)と梶原源太景季(かげすえ)の角逐(かくちく)があったことはあまりにも有名だが、その地がここ「源太坂」であるという。
真偽はともかく、私はこの坂が好きだ。旗指物をなびかせて、思い思いのくらを置いた馬のくつわをこの台上に並べ、はるかにきらめく富士の川面を見下ろす板東のつわものどもに、思いをはせるよすがは今は何もないのだが・・・