吉原湊と呼ばれていた昔から富士南麓の交通と物流の要所として栄えてきた田子の浦港…。
近代港として活動を始め、ことしで30年。地元、田子浦地区と元吉原地区では、この30周年を記念し「みなと祭り」を復活させます。
そこで、今回は多くの先人たちと港とのかかわりを追いながら、暮らしを通して明日の港と市民との望ましい関係を探ってみましょう。
山部赤人はいったいどこで和歌を詠んだの?
当時、田子の浦という地名は、西は江尻の浜から、東は沼津までの広い範囲を指したそうで、興津や蒲原説などさまざまありますが、四季を通じて富士山とともに暮らす私たち富士市民を納得させるだけの説得力はありません。唯一残る地名からも、狭い意味では富士川の東、吉原湊を中心とした浜辺一帯を指すのだとしてよさそうです。
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( 写真説明 ) 万葉歌碑(田子の浦港富士埠頭)
自然との戦いで築かれた港の繁栄
・奈良時代から世に知られた土地柄
昔から、富士山を歌にして時の中央政府に紹介した例は、多くありますが、何といっても有名なのは万葉歌人山部赤人(やまべのあかひと)。このあたりは古くから開け、交通の要所として富士山とともに世にその名を知られていたのです。
田子の浦港の地は、昔は「吉原湊(よしわらみなと)」と呼ばれ、鎌倉時代には源頼朝が鈴川に見附(みつけ)(番所)を置き、対岸の前田へ船で渡るルートをつくりました。戦国時代には、今川、北条、武田氏が競ってこの港を支配したことからも、軍事・経済上の重要性をうかがい知ることができます。
江戸時代に入ると、伊豆や遠州地方など近国との貿易港として繁栄し、湊の東に吉原宿が整備されました。
・民話「いけにえの淵」が私たちに語りかけるもの
潤井川と沼川の合流点に位置する吉原湊は駿河湾の最も奥まった場所という地理的条件から、たびたび高潮の被害をまともに受けてきました。このため、東海道の宿場町として栄えた吉原宿(元吉原)は、中吉原宿(依田橋)、新吉原宿(吉原)へと場所を移していきました。
また、高潮は湊の入口を砂でしばしばふさぎ、行き場を失った川の水は氾濫して周囲の水田に多くの被害を与えました。沼川河口に伝わる毒蛇(竜)退治の民話「いけにえの淵」は、津波や高潮との宿命的な戦いを繰り返してきた人々の願いが込められているのです。
近年には、比奈村名主野村一郎による湊口への防潮堤の建設、高橋勇吉の石桶、石水門、昭和放水路など、さまざまな工法が試まれましたが、頻繁な災害からの開放は、田子の浦港の建設を待たなければなりませんでした。
産業の発展と「ヘドロ公害」の克服
・国際貿易港『田子の浦港』の誕生
明治以降、港は東海道線の開通などによって衰退し、わずかに沿岸漁業の船が利用するだけでした。
戦後、田子浦村長になった船山啓次郎は、郷土の発展のため、田子の浦港建設に情熱を注ぎます。やがて、彼の夢は県の東駿河湾工業地域開発を目的とした『第六次総合開発計画』によって実現することになり、昭和33年、第一期工事が始まりました。
沼川と潤井川の合流河口の陸地を逆三角形に切り取る「掘り込み式港湾」は全国的にも珍しく、難工事でしたが地元の大きな期待を一身に受け、10年の歳月と130億円の建設費をかけて昭和41年、かつての吉原湊は 国際貿易港『田子の浦港』として生まれ変わりました。
・産業の飛躍的な発展
新生田子の浦港の産業に果たした役割は大きく、海上交通の拠点として、また物資の輸送基地として地場産業の製紙業を初め、化学繊維、食品加工、自動車、電気機械などの発展を支えてきました。平成2年の入港船舶は6,862隻、取扱貨物は755万トンで、工業生産高は昭和41年に比べ、約10倍に伸びています。
・田子の浦港の熱い日々(ヘドロ公害)
昭和45年5月、港内で大型船が立ち往生するという事件が起きました。これは企業からの排水に含まれる浮遊物質(ヘドロ)が港内に堆積したため起こったもので、その上ヘドロから硫化水素が発生し人体に重大な影響を及ぼすことがわかり、早急にヘドロを取り除く必要性が生じました。
当初、外洋への投棄が検討されましたが漁民や市民の抗議などで断念。最終的には富士川河川敷へ埋め立て、その跡地を公園化することになり、昭和46年から四次にわたるしゅんせつ作業の結果、ヘドロは一掃され港の環境は大幅に改善されました。
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( 写真説明 ) 田子の浦港のヘドロ(昭和45年)
( 写真説明 ) 富士川緑地
・田子の浦港の貿易
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( 図表説明 ) 田子の浦港の出入貨物の構成(平成2年)
( 図表説明 ) 品種別構成(平成2年)
港から明日へのメッセージ
・田子の浦港夏・若者たちの熱気(青少年の船)
工業港としての機能面か強調されがちな田子の浦港ですが、市民生活とも深いかかわりを持っています。特産のシラス漁の基地でもあり、また伊豆方面への海の玄関口でもあります。また、「富士と港の見える公園」は、田子の浦港の人気スポットです。
毎年8月中旬、港は若者たちの熱気であふれます。「青少年の船」の出航です。今までに約2,000人の若者がこの港から旅立ち、郷土への認識を新たにしてこの港へ帰って来ました。まさに「ヘドロを知らない子供たち」にとって、一生の思い出の場所です。
・田子の浦港をつつむ新しい流れ
明日の港と市民の新しい流れが今、生まれつつあります。この流れを大きなものにしようと、開港30周年をとらえて、田子浦、元吉原地区が合同で行う「みなと祭り」。あなたもぜひお聞きください。港からの潮風のメッセージを‥‥。
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( 写真説明 ) 青少年の船 出航!! 今年も田子の浦港に熱い日が
吉原湊は、富士登山の海の玄関口だった
江戸時代、貿易港として栄えたころ、陸上げされた物資は塩や伊豆の石材、遠州や伊勢の海産物、瀬戸物などで、積み出された物は年貢米や木炭、木材などでした。また当時盛んだった、富士登山の海の玄関口としても大いに利用されました。
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( 写真説明 ) 吉原湊から陸上げされた伊豆石でつくられた倉(鈴川・鈴木さん宅)
自然の猛威
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( 写真説明 ) ご存知ゲラティック号!!昭和54年の台風で西風を受け元吉原海岸に座礁
( 写真説明 ) 潤井川右岸堤防欠壊!!台風により河口がふさがり、潤井川の水が田子地区に浸水(昭和28年)
西風が三日も吹きぁ 総出で川切りをしたもんさ
加藤啓二郎さん(前田新田)
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昔は、富士川の方から吹く西風がとても強くて、何日もよく吹いたよ。三日も続けて吹きゃあ港の入口が砂で埋まってしまったね。もともと川底か浅いもんで、台風で高潮なんかがくればすぐふさがってしまうんだよ。
押し寄せた高潮が石水門の上を越してくんだからたまんないね。ここら辺も稲をやられたけんど、大体いつも浮島や須津の方が被害が大きかったね。稲が海水に1週間もつかれば全滅だからね。
さあ、そうなると、稲を助けるために各村々総出で、港の砂を取り除く『川きり』をやるんだけんど、みんな一生懸命だから、波に気付かずにさらわれる人もいたね。今の港ができてからは、そういう事はなくなったね。
市民で田子の浦港を応援しよう
富士愛鷹の自然を守る会 渡辺佐一郎さん
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以前に比べると、田子の浦港は随分きれいになりました。これは市民と企業、行政の心が一つになった結果で、高く評価できると思います。その意味で、いまだに港にまつわりつく悪いイメージはぬぐい去るべきです。
私自身の考えでは、水質はもっとよくなると思っています。その点確かに企業努力に期待する部分は大ですが、同様に市民意識のレベルアップが重要となってきます。
そのための一つのきっかけとして「野鳥の会」や「ホタル愛好会」など自分の興味のある分野で、自然とかかわる活動に参加することをお勧めします。そして、機会をとらえて港や川へ足を運んでみることてすね。これから必要なのは港の監視ではなくて、田子の浦港の浄化を市民の立場から応援するという姿勢だと思います。
田子の浦港をしっかり頭にインプット
笹 孝江さん(今泉)
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昨年、「新富士市青少年の船」に参加したんです。私、恥ずかしいんですが出航間際まで清水港から出航すると思い込んでいました。
船は北海道の釧路港に寄港したんですが、港にはフィッシャーマンズワーフという施設や若者が集えるような場所があってとてもすてきなんですね。田子の浦港にもせめて写真の背景となるような場所が欲しいですね。
でも、航海の終わりに田子の浦港とエントツが見えたとき、『ああ私の街に帰って来たんだな』としみじみ思いました。私、ことしも青少年の船に挑戦するつもりです。もちろん今度は、田子の浦港をしっかり頭と心にインプットしてありますから大丈夫ですよ。
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( 写真説明 ) 港のおすすめスポット「富士と港の見える公園」
情熱のすべてを港に
田子浦村村長であった船山啓治郎氏は、その生涯を田子の浦港の築港にかけた先達として、地区の人々の尊敬を集めています。
彼は港の完成を見ることなく、昭和31年に74歳で他界しました。
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( 写真説明 ) 4月25日に行われた船山啓治郎翁の供養祭(前田新田)
田子の浦港開港30周年記念 みなと祭り
7月19日(日曜日)10時~21時
イベント
・手筒花火大会
・FUJIサンバコンテスト
・郷土太鼓の競演
・マーチング&ブラスバンド
・ふれあい動物園
・昼カラTV田子の浦港予選会ほか
会場
田子の浦港中央埠顕
お祭り大好き人間大募集!
巡視船「おきつ」で体験航海
とき 7月19日(日曜日) ・午前10時~ ・午後1時10分~
ところ 吉原埠頭第一号岸壁
定員 各100人(計200人)
巡視船 清水海上保安部所属 巡視艇「おきつ」
・全長67メートル ・総トン数 約500トン
航海時間 約40分
豪華ヨットで遊々クルージング
とき 7月19日(日曜日) ・午前と午後の2回
参加ヨット数 五艇(予定)
ところ 田子の浦漁協前
定員 各25人(計50人)
申し込み方法 乗船希望者は、往復はがきに「おきつ」と「ヨット」の別、住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、7月4日までに、〒416 市内中丸232、田子浦公民館へ。ただし小学3年生以下は、学年と同伴の保護者(一人)名を記入してください。
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( 写真説明 ) 巡視船「おきつ」
FUJIサンバ出場チーム募集
とき 7月19日(日曜日) 19時~
ところ 田子の浦港中央埠頭
チーム定員 15人以内
申し込み 7月4日までに、はがきにチーム名、出場者数、代表者の氏名、住所、電話番号を記入し、〒416 市内中丸232 田子浦公民館へ
田子浦公民館 電話63-5209