再会に胸膨らむ嘉興行き 民間では初めての招請状
藤原(ふじわら)タカ子さん(厚原・61歳)
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嘉興市からの招請状。
友好都市提携を結んでいる中国の嘉興市から、一通の招請状が届きました。あて名は、藤原タカ子さんら「牡丹花(ムータンホア)」のメンバー5人。「牡丹花」は、富士市国際都市交流協会の中国語ボランティアグループです。
差出人は、外山工業に昨年6月まで派遣されていた、嘉興市の研修生たち。嘉興、杭州を回る5日間の旅の招待です。「いつかまた会いたいね」と、交わした言葉が実現します。出発は、3月31日。再会に、胸が膨らみます。
友好の旅立ち。
メンバーの中でも、藤原さんは感概もひとしお。40年ぶりの中国訪問です。藤原さんは、昭和7年2歳のとき、お父さんの仕事の関係で中国(満州)に渡りました。治安が悪くなり、小学校は日本で。しかし、15歳で再び中国へ。そして、終戦。
そのころ中国では、人民解放軍と国民党軍の内戦があり、一部の日本人は、人民解放軍への協力を依頼されます。女学生だった藤原さんも、病院で負傷兵の看護に当たりました。藤原さんの流暢な中国語は、そのときに耳で覚えた言葉です。
今は、中国語を生かしてのボランティア。情報不足や勘違いによるささいなことでも相談にのる、お母さんの役割です。
藤原さんは、いつもさまざまな生き方を認め合いたいと思ってきました。あくまで、人と人とのつき合いが基本。友好のきずなが花開くときです。
*3月9日 藤原さん宅にて取材。