歴史を伝える建造物を 移築復原する宮大工
影山明男(かげやま あきお)さん(富士上中・56歳)
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歴史を伝える。
広見公園のふるさと村。ここに、「樋(とよ)代官植松家住宅」と「旧独楽荘(どくらくそう)石倉」が、移築復原されました。チョウナで削った太いはり、屋根には、換気用の“越屋根(こしやね)”をつけた珍しい構造で、江戸末期の建物だといわれています。
請け負ったのは、岩本の宮大工の棟梁(とうりょう)影山明男さん。左官、かわら、石屋さんなど、作業する人や建造物のすべてに責任を持つ棟梁。
「いい勉強になったね。二重三重に曲がった木の癖を、うまく使って組んである、手間暇かけた建物。見えないところで補強しながら、少しでも多くもとの木材を使って、昔とおなじような工法で復原しようと苦心。しかし、仕事は復原より、解体の方が難しい」
棟梁の言い分。
実相寺の宮大工の家に生まれた影山さん。「門前の小僧」で仕事は体で覚えたと言います。
「大工のよさって『人のお金で道楽をさしてもらう』ってことかな。自分の思ったものをつくって、仕上がったときに、お客さんに喜んでもらえたら満足。まあ、好きでなくちゃあできない仕事だ」
影山さんのところでは、今、7人の大工さんが働いています。
「木を見て、適材適所に生かすのが、腕のいい大工。これは、人にも応用できる。人を使う気構えを持たないと。癖がなさそうだなんて、とんでもない。どなり散らすこともあるが、後のフォローはしっかりとね」