松にこだわり、松を守る「田子浦海岸保安林を守る会」の会長
土屋利治(つちや としはる)さん(中丸・64歳)
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浜辺が消えて。
富士山と青い海。白い浜辺とどこまでも続く松林。昔の、田子浦海岸の姿です。今ではすっかりさま変わりして、17メートルの防潮堤とテトラポットの山。変わらないのは松林だけですが、これには土屋利治さんを会長とする、「田子浦海岸保安林を守る会」の大きな力がありました。
松が危ない。
「守る会」が発足したのは、昭和49年。大気汚染などで、松に枯れ枝が目立つ様になったころです。海岸沿いに住む土屋さんは、本能的な不安を感じ運動を始めました。土屋さんの論法は単純明快。しかも、心にズシッと響く説得力があります。「高潮は防潮堤があるから、まあ大丈夫だろう。強い風は、松が防いでくれる。だから、しけの時にも安心して眠っていられる。大切な松を、地域の住民が守らなかったら、一体だれが守るんだ」
現在、「守る会」の会員は、田子浦地区7町内の1,900世帯にもふえ、春と秋には枝打ちや雑草刈り取りの共同作業に汗を流しています。
人づくりと松づくり。
海岸の松は、次の世代との共有財産だと考える土屋さんは、「松への思いやりは、子供のときから育てなければ−」と、人づくりにも力を入れます。松と遊び、松を植え、松林を清掃する小中学生と一緒になって、まず草取りの方法から教えます。
子供たちは松と触れ合いながら、学校で学ぶ知識とはまた違う、生きるために必要な知識を身につけていきます。