大渕富士本の茶道(ちゃみち)の観音(かんのん)さん
ことしは午年(うまどし)。大渕の富士本には幾つかの馬頭観音が祭られています。今回は、その一つ「茶道の観音さん」について富士本中(ふじもとなか)の岩間政男さん(60歳)に伺いました。
岩間さん
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馬は家族の一員
今のように自動車や機械のなかった昔々のことです。馬は農作業や物の運搬に大事な労働力でした。そのため、人々は馬を家族の一員のように大切にしていました。
馬が死んだりすると手厚く供養をし、馬の安全と生育を祈るために馬頭観音を建てました。ですから、馬頭観音とは馬の神様といえます。
お茶を運んだ馬を祭る
大渕第二小学校の600メートルほど北を走る県道富士裾野線は、昔からの道で、現在の道の南に旧道が残されている部分があります。
昔、この道を江戸に向かってお茶を運ぶ一行がありました。
昔の道は荒れており、坂は急で沢に橋もなく、江戸への道のりは険しいものでした。人も、荷物を運ぶ馬も大変で、一行は富士本にある大きな杉の木の下で一休みすることにしました。
ふと気がつくと、一頭の馬の衰弱が激しいではありませんか。旅人は沢から水をくみ、与えましたが、そのまま死んでしまいました。
旅の一行と富士本の人々は、馬を杉の木の根元に葬り、富士本の人々はそこに馬頭観音を建てました。以来、この観音さんを「茶道の観音さん」と呼んでいます。
大木の下にひっそりと
茶道の観音さんは、旧道沿いの樹令200年を超える杉の木の隣にひっそりと建っています。高さ約50センチ幅約25センチで、おさい銭やあめが上げられています。観音さんには嘉永6年(1853)という年号が刻まれていました。
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( 写真説明 ) 茶道の観音さん