松本の長通に石護(いしぎょう)さんと呼ばれる石碑があります。今回は「石護さん」の話を、長通の時田哲(さとる)さん(70歳)と渡辺智(さとし)さん(62歳)に伺いました。
時田さん(左)と渡辺さん
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「ころり」がはやる
寛政12年(1800年)春のことです。長通の一帯に「ころり」と呼ばれた伝染病がはやりました。
当時は現代のような医学もなく、人々はただ恐れをなしているだけで、病人のそばを手ぬぐいでロをふさいでは通っていました。
ですから、亡くなる人が相次ぎました。死亡者の野辺焼さは、今の富鷹線の潤井川橋の近くで行われ川岸に植えられていた松林のこずえから幾つもの焼煙が立ち上りました。
旅の僧を葬る
そんなある日、長通を通りかかった旅の僧も疫病で行さ倒れとなりました。お坊さんは「私を葬ってくたさい。そうすれば疫病から人々を救います」と言って息を引き取りました。
長通、松本の有志は四辻の位置に石塚を立て、手厚く葬りました。そして毎年8月15日にはお経を上げ、男衆は石護さんを杉の葉で飾り、女衆はだんごなど供えてかがり火などをたき、にぎやかな供養を行いました。
現在では長通の行事となっており、石護さんを信仰すると疫病にかからないと言い伝えられています。
色紙の短冊を分ける
渡辺智さんは「お祭りは昔からずっと続いており、8月15日に中島の安立寺の住職さんにお経を上げてもらっています。そして経文の書かれた色紙の短冊を長通の全戸に分けています。この短冊を供えると病気にかからないといわ
れ、農家では田んぼに置いて豊作を祈ったりもしていますよ」と語ってくれました。
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( 写真説明 ) 石護さん
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( 図表説明 ) 地図