吉原二中の前を西に数分歩くと、子育て桜地蔵があります。今回は、このお地蔵さんの話を今泉・鍛冶町3の杉山繁次郎さん(79歳)に教えていただきました。
杉山繁次郎さん
- 写真あり -
村人に好かれたおじいさん
昔は今泉7丁目の愛鷹神社より北側は一面の畑でした。桜地蔵さんのある場所は基地になっていて、そこに、墓守のおじいさんが住んでいました。おじいさんは人がよく、酒が好きで、たくさんの村人から好かれていました。
おじいさんは、墓の草を取ったり、掃除をしたりよく働きましたが年には勝てず、あるとき寝こんでしまいました。おじいさんは自分の最期を悟ったのか亡くなる直前に「わしが死んだら、せめて酒を供えてくれ、きっと子供たちが丈夫に育つよう守るから」と言い残しました。
桜の根元に祭る
村人たちはおじいさんの気特ちをくんで、お地蔵さんをつくりました。そして、墓地の隅にあった樹齢何百年かの桜の大木の根元に祭り、お酒を供えるのを忘れませんでした。
その後、村の子供たちが元気に育つので、村人たちはおじいさんの徳をありがたく思い、だれ言うともなく桜地蔵さんと呼ぶようになりました。
よだれかけに願かけ
杉山さんは昭和の初めから現在の様子を「よだれかけに名前を書いて、お地蔵さんにかけると、夜泣きや虫封じに効くと言われ、昭和の初めごろは何十枚もよだれかけをしていました。今でもよだれかけを上げる人はあります。清水や蒲原など遠くからも来ますよ。祭りは8月24日に行っています。桜の老木が枯れてしまったのが残念です」と話してくれました。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 桜地蔵さんのお堂