市内には武田信玄に関する史跡が、幾つかあります。今回は、その一つ川成島の「旗立八幡」のお話を地元の三井清治さん(66歳)に教えていただきました。
川成島に陣を張る
戦国時代のことです。富士市は甲斐の武田・駿河の北条・相模の今川氏の努力がぶつかりあったところでした。
永禄(えいろく)12年(1570年)6月12日、武田信玄は1万8,000の軍を率いて甲府を出発し、駿府を目指しました。沼津・三島の北条軍を破った後、武田軍は富士川を背にして川成島に家宝の「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の旗を立て、陣を張りました。
一方、北条氏康は元吉原の砂山に陣取り、対陣しました。
洪水に慌てた武田軍
にらみ合いの始まった6月19日ごろのことです。雨が降り出し、夜には大雨となりました。
かりがね堤のできていない当時の富士川は、大雨のたびに本流が変わる暴れ川で、たちまち大洪水となりました。
信玄の陣地は水浸しとなり、武田軍は命かながら大宮(富士宮市)へ逃げ延びました。慌てた武田軍は「八幡大菩薩」の軍旗を置き忘れ、旗は寂しく立ち残っていました。北条軍はこれを拾い、小田原城へ持ち帰りました。
村人は軍旗のあったところに社(やしろ)を建て、旗立八幡と呼ぶようになりました。現在は川成島浅間神社に合祀され、跡地に記念碑を建ててあります。
信玄びいきだね
三井さんは「信玄が陣を張ったということは、武田に味方する地侍が、ここにいたということです。そのせいか、今でも川成島の人は概して信玄びいきですよ」と語っててくれました。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 三井清治さん
( 写真説明 ) 記念碑
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図