宮下の皆さんは毎年10月27日になると宮下神社に集まり、共同炊事した食事をとります。この行事を水神待といい、地元の三国市太郎さん(62歳)が由来を語ってくれました。
三国市太郎さん
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水害に耐えた祖先
古い書物によれば、宮下には約800年前から集落があったとされています。富士川は今でこそおとなしい川ですが、昔は大変な暴れん坊で、宮下を初め富士川東岸地区の歴史や人々の暮らしは、絶えず水との戦いでした。
江戸時代に入り、かりがね堤が完成してからは水害は少なくなったものの、それでも、明治に入ってから2年・15年・29年・43年に大水害がありました。特に43年8月の大水害は、全戸がほとんど全滅するという大災害でした。
人々は、そのたびに強い意志で復旧に努め、現在の街の基礎ができていきました。
水神様を祭る
毎年10月27日に行われる水神待は、こうした多くの試練を乗り越えてきた祖先の生活の中から生まれた行事です。人々は神社に水神様をお祭りし、水難を逃れるよう祈念する一方で、一年の無事を感謝するものです。
夕食をみんなで食べる
また、おそらく祖先は水害にあったとき宮下神社に非難し、寝食を共にして励ましあったのでしょう。そんな名残か、今でも水神待になると、当番班がつくったけんちん汁とお茶飯の夕食を、めいめいがはし・茶わんを持参してみんなで食べます。ことしも子供からお年寄りまで250人が参加しました。大勢で食べるけんちん汁の味は最高で、今では地域のコミュニケーションの場としても大事な行事になっています。
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( 写真説明 ) 宮下神社の水難記念碑