旭化成の西側に「山王さん」と呼ばれる神社があります。「山王さん」の守護神は、昔、源頼朝に仕えた鮫島氏と言われます。今回は、この鮫島氏に伝わるお話です。
いち早く駆けつけた宗家
治承(じしょう)4年8月17日、源頼朝は伊豆の韮山で猿上げをし、まず最初に目代*(もくだい)の山木判官(はんがん)兼隆を攻め滅ぼしました。このとき、頼朝の家来は、たった85人。その中に富士郡較島村出身の鮫島四郎宗家という武士がいました。頼朝はいち早く駆けつけた鮫島四郎宗家に厚い信頼を寄せました。
その後、鮫島四郎は10月20日の富士川の合戦にも参加しました道案内として活躍し、だんだん重く用いられるようになりました。
誤って味方を切る
それから数年後、頼朝は甲斐源氏武田信義の長男の一条次郎忠頼を謀反(むほん)の心を持っているという理由で殺そうとしました。そして酒盛りを開いて忠頼を呼び、大勢で忠頼を殺してしまいました。外で待っていた忠頼の家来は、主人が殺されたことを知り、激しい切り合いになりました。
鮫島四郎はこの騒ぎの中で間違って味方を切ってしまいました。
頼朝は怒り、四郎の指を一本切り落としてしまいました。その上鹿児島へ領地替えをしてしまいました。その後、鮫島氏は島津氏に仕え、80石の武士として長く子孫が栄えました。
*目代〜鎌倉時代の地方官の代官
子孫が種子島に
志村安作さん
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山王神社の氏子総代で鮫島にお住まいの志村安信さん(64歳)は「昭和57年ごろ鹿児島県の種子島に住んでいる鮫島さんという人が、お参りに来ました。鮫島さんは自分のルーツをたどったところ鮫島四郎にたどりついたようで、この話は真実性があるよ」と語ってくれました。
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( 写真説明 ) 山王神社