【広報ふじ昭和63年】信玄と富士 1
善徳寺の三将会盟(さんしょうかいめい)
今、戦国時代の武将、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄が脚光を浴びています。信玄は天下統一の志(こころざし)を持ち、その目的のためにたびたび駿河の国(現在の静岡県)に侵入して来ました。そのため富士市にも大変関係の深い武将で、信玄にまつわる史跡や古文書が残っています。そこで、今号から6回にわたり富士市と信玄シリーズを掲載します。
◆善徳寺と三将会盟(その1)
善徳寺は、貞治(じょうじ)2年(1363)那須の雲巌寺の住持、大勲策禅師(だいくんさくぜんじ)が須津庄小県(すどのしょうちいさがた)(今の中里1丁目)に庵(いおり)を結んだことからはじまります。
その後、今泉水の上(今の福応寺あたり)に福王寺が建てられ、禅師の死後善徳寺と改名しました。
やがて、寺域が手狭になったので今の寺市場付近に寺を移しました。その後、戦国大名として成長してきた駿河・遠江の国守今川氏の保護を受け富士川以東第一の大寺として隆盛を誇るようになりました。
このころ、今川氏の軍事・政治的拠点として現在の今泉上和田町付近に善徳寺城が築かれたものと思われます。
ところで、小田原の北条氏と今川氏は、早雲と氏親以来、互いに助け合いながら友交関係を保っていましたが、その北条氏によって善徳寺は焼かれてしまいます。 (つづく)
- 写真あり -
添付ファイル
※PDFを初めてご覧になる方は、ソフト(Adobe Reader)のダウンロードが必要です。
「Get Adobe Reader」のボタンをクリックし、説明に従いAdobe Readerをダウンロードして下さい。
広報広聴課 (市庁舎8階北側)
電話:0545-55-2700 ファクス:0545-51-1456
メールアドレス:kouhou@div.city.fuji.shizuoka.jp