頼朝の名馬
県立吉原高校の西方100メートル付近の丘から、西へ向かう下り坂が源太吸です。梶原涼太景季(かげすえ)と佐々木四郎高綱(たかつな)の馬比べの物語を伝える場所です。
それは寿永2年(1183年)源頼朝(みなもとのよりとも)が挙兵したころの話です。そのころ、頼朝は生食(いけづき)、磨墨(するすみ)という2頭の名馬を持っていました。
部将梶原源太は日ごろから、生食をほしいと思っていたので、
「ぜひ、私に生食をください」
と願い出ました。頼朝は、
「生食と磨墨は、わしがいざというときに乗る馬た。だれにもやらない。しかし、どうしてもと言うなら磨墨をやろう」
ということで、景李は頼朝から暦墨をやっともらいました。
後から頼朝にあいさつに行った佐々木四郎は、とても望んでもだめだとは思いましたが、
「私に生食をください」
と思い切って願い出てみました。頼朝はしばらく考えていましたが
「そなたに生食をやろう」
と案外簡単に生食をくれました。
今泉の小高い丘で
おもしろくないのは梶原景季です。今泉の小高い丘で、
「佐々木殿、生食を殿からもらってきたのか」
となじるように聞きました。高綱は笑いながら、小声になって、
「実はご貴殿が欲しいとお願いしてもだめだった生食を、それがしごときがお願いしても、とうてい望みはないと思ったので、昨日の明け方、そっと盗んできたのだ」
と言いました。これを聞いた景季は、急に顔を和らげて、
「畜生!そうだったのか。それならそれがしも盗めばよかった」
と笑いながら引き上げたそうです。
その後、生食と磨墨の2頚の名馬は宇治川の先陣争いで互いに競い、立派な手柄をたてたそうです。
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( 写真説明 ) 昭和20年代の源太坂