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【広報ふじ昭和62年】富士山とともに生きるまち 富士市

富士山のかお


 さくらの花の向こうに見えた富士山のかお

 あさねぼうしたのか 眠そうだ

 薄い煙の洋服を着て

 ちょっぴり笑っているみたい


 せみとりしたとき見た 森の向こうの富士山のかお

 雷の子どもが大勢乗った雲と

 お話してた 紫のかお

 オーイ 登っておいでといってるみたい


 赤とんぼ飛んでる青空の 富士山のかお

 木の実をさがしてとびまわる

 小鳥や りすたちに

 オーイ もうすぐ冬だよと言ってるみたい


 風のマラソンのとき見た 富士山のかお

 風の子や雪の子をみんな呼んで

 雪飛ばしをしながら

 オーイ マラソンがんばれよと言ってるみたい

          「おさなごにきかせたい富士山のはなし」から



 世界の名峰富士山。私たちの心のふるさとであり、誇りでもある富士山。
 私たちは、遠い昔から富士山とともに暮らし、歩んできました。
 また、21世紀に向けてのまちづくり計画「ふじ21世紀プラン」は、富士山を我がまちの都市像としています。
 そこで今号は、富士山を改めて見詰め直すとともに、富士山を生かしたまちづくりについて、渡辺富士市長に渡辺裕子さんがインタビューをしました。渡辺さんは、市内伝法出身で現在、日本テレビ「野球教室」のアシスタントとして活躍中です。

富士市長 渡辺彦太郎
- 写真あり -

インタビュアー 渡辺裕子さん
- 写真あり -

富士山を生かした魅力あるまちづくりを

渡辺
 初めまして、渡辺裕子と申します。富士市では、富士山を都市像としたまちづくり計画「ふじ21世紀プラン」がスタートして、2年目を迎えているそうですね。
 そこで今日は、富士山を生かしたまちづくりについて、市長さんにお話しを伺いたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
 早速ですが、まちづくりに富士山を取り入れたということから伺いたいのですが……

市長
 見ようと思わなくても自然に目に入る所に住む私たちは、ここに富士山があるのが当然のように思いがちです。
 そこで、もう少し富士山というものを見詰め直そうということです。富士に住んでいると、富士山のありがたみ、例えば富士山から受けるすばらしい自然や豊富な地下水など当たり前のように思っていますね。ですから、富士山をあらゆる角度から見直し、自分たちのまち、生活とうまく調和させ、まちづくりに生かしていこうというものです。

富士山を見ていると勇気がわいてくる

渡辺
 市長さんは、きっすいの富士っ子だと伺っていますが、こんな富士山が好きだとか印象、あるいは市長さんと富士山のかかわりみたいなものがありましたらお聞かせください。

市長
 私は、現在の市役所のすぐそばに生まれ育ちました。ということは、富士山に見守られながら育ってきたということです。
 朝、自宅から市役所へ来るまでの間には、自然と勇壮な富士の姿が目に入ってきます。
 そんな富士山を見ていると、毅然とした態度になり、「ようし、きょうも頑張ろう……」と何か勇気のようなものがわいてきますね。
 3年程前、青少年の船で伊豆の三宅島へ若者たちと一緒に行ったわけですが、その帰り伊豆半島の沖合いから見た富士山は、本当にすばらしく感動的でしたね。
 市内から見る富士山は、余りにも大きく、偉大さが先に映ってしまいますが、少し距離を置いて見る富士山はいいものですよ。

渡辺
 その感じ、すごくわかります。私も大学の4年間、そして今も東京にいるのですが、たまに富士へ帰ってくると富士山てこんなに大きかったのかなァーと改めて感じますね。「ふるさとは遠きにありて思うもの」と言いますが、そのとおりですね。


物から心の時代へ

渡辺
 ところで最近、富士山が大変クローズアップされていますが、昔は、まちづくりにしても富士山をそんなに意識していなかったように思いますが……

市長
 富士のまちは、長い歴史を持っていますが、現在の富士市は、戦後の経済復興の中から工業都市として発展してきましたね。
 したがって、生産イコール都市発展という考えが強かったわけです。ですから、環境だとか都市景観はどうあるべきかなどは余り考えている余裕がなかったんです。
 その結果、昭和40年代後半に田子の浦港のヘドロ問題が起きたわけです。もちろん今では、ヘドロの問題は、企業、行政の努力によって、解決しておりますが。
 このような経緯の中から県下有数の工業都市に発展した今、心のゆとりであるとか、潤い、豊かさというものにみんなが目を向けだしましたね
 ですから、環境問題、自然保護や都市景観といったものが非常に重要視されてきたわけです。
 結局、人間は経済性だけではでなく、心の糧というものが必要なんですね。
 そこで、私たちは、あのすばらしい富士の姿に注目して富士山にまけないような質の高いまちをつくっていこうとがんばっているわけです。

渡辺
 生産性だけを重視した時代は終わって、物から心へという時代になってきたんですね。
 そんなことから、富士山をポイントに置いたということなんです。


富士山と合ったデザイン

渡辺
 さて、富士山を生かしたまちづくりですが、具体的にはどう進んでいるのでしょうか。

市長
 例えば、市役所のすぐそばの潤井川にかかっている潤井川大橋がありますね。
 あのアーチ状の単弦ローゼ橋は、全国でも珍しいということもありますが、背後の富士山との調和が図られ、歩道も広くとってあります。歩道には、ベンチやブロンズ像を置き、橋の上の小公園というような要素があります。
 今では、橋といっても単に交通上の機能だけではなく、グレードの高い文化性を持つことが求められています。
 また、11月には、この潤井川大橋の北側に源平橋という名前の橋が開通します。
 昔、このあたりは富士川だったんですが源氏と平氏がこの富士川を挟んで相対し、平氏が水鳥の音に驚いて退散したという話がありますね。
 そんなところから、この橋には水鳥をあしらった照明を取り入れ、富士山と水鳥を表現します。
 現在、保育園や幼稚園も建てかえが進んでいますが、これらの施設も、まるでおとぎの国にでてくるような建て物となっています。
 このほか、公民館を初めとする公共施設もデザイン、色彩に工夫を凝らし、文化の香りづけをするなど、富士山と対比しても恥ずかしくないような施設にどんどん生まれ変わっています。

渡辺
 そうなんですか。私も先ほど、簡単に市内を回ってみましたが、ちょっとごぶさたしているうちに、ずいぶん変わったなァーと感じました。市役所のすぐ先の交差点には、富士山の形をした噴水があるんですね。
 それから、田子の浦港には万葉の歌人、山部赤人の詠んだ「田子の浦ゆうち出でて見れば……」の歌碑が建てられていて、富士山と富士市の結びつきを強く感じました。

美しい富士山を世界の人々に

渡辺
 新幹線新駅は、「美しい富士山を世界の人々に」をテーマにしているそうですがまもなく開駅になりますね。
 この新駅と富士山をどう結びつけていきますか。

市長
 新幹線で富士市を訪れる内外のお客さんが、駅のホームを歩きながら日本一美しい富士の姿が見えるようにホームの側面をすべてガラス張りにします。
 駅舎そのものが、単に乗り降りする場だけではなく、居ながらにして、すばらしい自然景観を楽しめるように工夫を凝らしてあります。
 このほか、市内には、かぐや姫を初めとする伝説があり、歴史があり、駿河湾がありますね。
 これから、ますます余暇時間がふえ、心のゆとりを求めて、富士市にも大勢の人が集まって来ると思います。
 これらをうまくつなぎ合わせる接点が新幹線新駅となります。
 それから、富士にも大学ができます。文化会館もつくっていきます。
 文化会館には、2ヵ国語の同時通訳のできる設備も整えたいと思っています。そのためには、1,000人ぐらい収容できるホテルなども欲しいですね。
 また、消費者の流失を防ぐためにも、消費者ニーズに応えるたにも、大きなデパートも必要だと思います。
 いずれにしても、これらの原点に富士山があり、富士山を背景としたすばらしい自然と人間が共生できるまちをつくっていきたいと思います。
 それには、自然を守り、育て、生かすというように自然との調和を図ることが大切ですね。


富士を見せるポイント

渡辺
 新幹線新駅が開駅されると富士市にも大勢のお客さんが訪れると思いますが、訪れる人たちにここからの富士山をぜひ見てほしいとか市内のこのあたりを見てほしいとかのポイント的な設定はお考えでしょうか。

市長
 ポイントはぜひ必要ですね。
 先ほど、駅のホームを歩きながら富士山を見ることができると話しましたが、駅から見るだけではなく、おりたくなるようなまちにしたいと思っています。
 例えば、岩本山公園ですが、市内を360度見渡すことができるパノラマ展望台があります。
 また、昨年度は梅の名所にしようと梅の木を植樹しました。将来は熱海の梅園に負けないようにしたいと思っています。
 そのほか、富士川とかりがね堤富士山と湧水、竹取物語の伝説、戦国時代の武田、今川、北条の三将会盟があった善得寺の歴史公園化などいろいろなポイント設定を考えています。
 そして、これらの案内マップをつくろうと思っています。


富士山を集大したものを

渡辺
 美しい雄大な富士山が目の当たりに見えるというのもすばらしいことですが、同時に、ここへ来れば富士山のすべてがわかるというような
資料館というか博物館のようなものがあったらと思いますが…

市長
 現在の市立博物館は、郷土の資料館として位置づけています。
 先ごろ、横浜国立大学の先生に海抜0メートルから富士山の頂上に至るまでの自然植生の調査をお願いして、その結果がでましたがそのことも含めて、富士山の歴史はもちろん動植物、気象などすべてを集大成したものがほしいですね。
 そんな意味で丸火自然公園にある丸火自然館には、富士山に関係したものをある程度展示してありますが、もっと規模の大きなものも必要となってくるでしょうね。


富士山の資源を大切に

渡辺 
 最後に富士山を生かしたまちづくりについてまとめをお願いします。

市長
 これからは、大勢の人が内外からやって来ます。
 その人たちに対して、もてなしの心がなければいけませんね。それから、世界に誇れる富士山を持っているわけですから、富士山に負けないまちをつくらなければならないし、富士山から受ける恵み、を有効に利用し、さらに前進させなければならない責任が私たちにはありますね。
 今後も、市民と一緒にどこの都市にも負けない、住みよいまちをつくっていきたいと思います。


インタビューを終わって
 富士市と富士山の結びつきの強さ、また、市長さんは、本当に富士のまちと富士山を愛しているんだなという気持ちがヒシヒシと伝わってきました。
 すばらしい富士山に抱かれたまちに生まれ育った私は本当に幸せだと思います。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 渡辺裕子さん(左)と渡辺富士市長
( 写真説明 ) 潤井川大橋
( 写真説明 ) 庁舎前、市民広場からの富士山
( 写真説明 ) 田子の浦港にある富士山歌碑
( 写真説明 ) 21世紀を担う富士っ子たち
( 写真説明 ) とんがり帽子の岩松幼稚園
( 写真説明 ) 新幹線と富士山はよく似合う

富士山小ばなし

■富士山一口知識

富士山は、どのようにしてできたのですか?
また、今までの最大風速や最低気温を教えてください。

 小林和之さん(吉永第一小6年)
- 写真あり -

◇富士山は3階建て
 富士山は、大きく分けると3回の火山活動から成り立っています。まず、今から数十万年前の小御岳(こみだけ)火山の噴火、次いで数万年前の古富士火山の噴火、そして、約1万年前の新富士火山の噴火によって現在のような日本一高く、美しい富士山ができました。
 ですから富士山は3階建てということになります。
 また、富士山は、今から280年前の西暦1707年(宝永4年)に大爆発を起こし、これを最後に現在まで静かな眠りを続けています。
 富士山の今までの最低気温は1981年2月27日のマイナス38度。最大風速は1942年4月5日の秒速72.5メートルです。
 富士山は、3,776メートルですが、正確には、3775.6メートル(国土地理院調査)です。
 また、全国には津軽富士、榛名富士など百を超す〇〇富士があります。

- 図表あり -
( 図表説明 ) 富士山の成り立ち



加藤初男さん(前田新田・漁業)
- 写真あり -

 漁師が沖に出るに一番大事なのは波のぐあいだな。波は風向きで変わるけんど、風の様子は富士山や、その周りの山にかかる雲でわかるよ。富士山の東側の雲は東風、西側の雲は西風。漁(りょう)には東風と北風がいいんだ。富士山がひさしがさをかぶったら、十中八九雨だね。漁はできないよ。

- 図表あり -
( 図表説明 ) ひとつがさ
( 図表説明 )  春と夏に多く出ます。雨が降る前ぶれで、ときには風が強くなることもあります。
( 図表説明 ) おひきがさ
( 図表説明 )  夏に多く発生します。雨と風が強いときに発生する風雨かさぐもの一つです。
( 図表説明 ) ひさしがさ
( 図表説明 )  秋に出るかさ雲の一つです。雨がたくさん降る前ぶれと言われています。
( 図表説明 ) はなれがさ
( 図表説明 )  冬場に多くあらわれます。山頂の上空にでき、天気がよくなるときだけ出ます。



■富士山と私

遠藤貴美子さん(松本・事務員)
見つめていたい山
- 写真あり -

 高校生の時、野外授業で富士山に登ったんです。でも雨のため七合目で断念。下山の時の口惜しさがいつも心にあって、それで今年再度挑戦しました。深夜、登山開始。天の川がとても印象的でした。星明りに助けられて一歩一歩登る…「私は今、自然に溶け込んでいるんだな」と思うと全身が震える感じでした。
 昨年、南アルプスの北岳へ登ったときのことです。沢をつめ、林を抜けて、頭上に稜線が見えるあたりにお花畑が広がっています。腰をおろし、ふと目を上げると、形のいい山が視野に入りました。それが富士山です。ほんとうに気品のある美しい山ですね。「ああ、あの山のふもとに私は住んでいるんだな」と思うと、もう感激してしまって。
 子供のころに比べると富士山のすそ野にも、随分建物がふえてきました。旅行好きの私は、旅先でふと富士山を思うことがありますが、それはいつも子供のころの富士山です。ちょっと複雑な気持ちですね。
 今、私は富士山の周囲の山、愛鷹山、毛無山などに登って別の角度から富士山を見つめようと計画しています。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 富士山頂にて(右が私)
川口享(たか)代さん(今宮・農業)
心が弾む春の富士
- 写真あり -

 親子で、昭和60年・61年と2年続けて富士山に登りました。地元に生まれ、地元に育った私にとって、富士山は当たり前すぎて、これまで何も感じませんでした。
 ところが、自分の足で苦労して登ってからは、富士山がより身近に感じられるようになりました。
 また、親子で励まし合って登ったので、親子のきずなもより層深まりました。
 眼下に広がる雲海、雲間から見えた御来光、消えることのない雪渓など疲れを吹き飛ばすすばらしさでした。
 でも、どちらかと言えば眺める富士山の方が、私は好きです。桜が咲き始め、雪がまだ残っている春の富士山を、見ると、心まで弾んできます。
 最近、地震があったので、とても心配しました。富士市民は、富士山のことにもっと敏感になるべきでしょうね。

- 写真あり -
( 写真説明 ) マイペースで富士登山(先頭が私)



■富士山昔話

役の行者の富士登山

 役(えん)の行者は、役の小角(おづね)とも言われ、修験道の開祖として名高く、富士山へ登った最初の人だと言われています。
 小角は、子供のころから野山を駆けめぐり、山中で仏道を学びました。
 そして、長い年月、修業を積んだ結果、不思議な術を会得しました。ところが、あるとき天皇の誤解を受け、伊豆の大島へ流されてしまいました。小角は、昼は家で修業し、夜になると島を抜け出し、朝帰ってきます。不思議に思った村人が、「毎晩出かけますが、どこへ行くのですか」と聞くと、小角は、「富士山の頂上へ行って修業してくるのだ」と答えました。村人は驚いてその日の晩、注意して見ていると、海を渡る小角は、まるで空を駆けるように飛んでいったということです。

- 図表あり -
( 図表説明 ) えんの行者の飛行の術
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