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【広報ふじ昭和62年】ふるさとの話

鷹岡の厚原に伝わる 曽我の首洗い井戸

 鷹岡厚原の曽我八幡宮から凡夫川に治って、300メートルほど北へ行くと「曽我の首洗い井戸」があります。昔、曽我五郎の首を洗った場所だと伝えられています。


兄弟のあだ討ち

 それは今から800年ほど前、源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉に幕府を開いたころ、建久4年(1193年)5月28日の夜のことでした。ここは富士のすそ野、上井出(富士宮市)の里です。
「我らは伊東の城主祐親(すけちか)の孫、曽我の十郎並びに五郎なり。たった今、親のかたき工藤佑経(すけつね)を討ちとったり」と、親のあだ討ちを果たした曽我兄弟の声に、巻狩(まきがり)の仮小屋に眠っていた武士たちは、我も我もと、刀を振り上げて切りかかってきました。兄弟は死力を尽くして戦いましたが、ついに力尽きて、兄の十郎は仁田四郎忠常に討たれ、弟の五郎は御所の五郎丸という武士に取り押さえられてしまいました。
 ところが、将軍源頼朝は、その場で五郎を殺さないで、鎌倉へ送ることにしました。しばられた五郎が、大勢の武士に守られて鷹ヶ丘(今の鷹岡)まで来たときのことです。祐経の子、犬房丸が、「ここで五郎を討たせてください」と泣いて頼むので、護送してきた武士たちは、犬房丸に五郎を討たせてしまいました。そして五郎の首は、この池で洗って一たん鎌倉へ持って行き、さらに曽我の母のところへ届けられました。
 鷹ヶ丘の人々は「この池が血の池になった」と伝えています。
 そして五郎の亡きがらは、近くの福泉寺(今の曽我寺)へ葬られたということです。


池の水が赤くなる

 案内してくれた杉山市太郎さんと杉山光雄さん(区長)は、「私らが小さいころは、まだ水はあったね。関東大震災のときから水がなくなったような気がするな。伝説だと思うけど親からは、毎年5月28日には、池の水が赤くなったって聞いているよ」と話してくれました。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 右から杉山市太郎さん 杉山光雄さん
添付ファイル
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