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【広報ふじ昭和62年】まちかどネットワーク 自然と生活の調和をめざしみんなの幸福を築くまち 伝法

 伝法は、玄龍寺の伊勢塚古墳、奈良から平安時代にかけての大規模な集落跡である東平遺跡など、古くから静かな農村地帯のたたずまいを見せてきた地区です。いわば、富士市のあけぼのの地であり当時、富士郡の中心地であったと考えられます。
 近年は千代田町・弥生新田付近の製紙を中心とする工業地帯と、その南側に広がる水田地帯、さらに伝法町付近の住宅化など、住工農が混在しています。旧大宮街道沿いを中心とした地域では次第にベッドタウン化も進んでいます。
 一方、大月線、弥生線、東名高速道路の富士インターチェンジなどの幹線道路に加え、西富士道路、臨港線などの交通網が広がってきました。それに伴い車社会の郊外型飲食・ビジネス街も出現し、市の中心街形成への側面もうかがわれます。
 このため、21世紀に向けて、住環境の整備、幹線道路と生活道路との調整整備、コミュニティの問題などが課題となっています。

- 図表あり -
( 図表説明 ) ◆人口 11,780人
( 図表説明 ) ◆世帯数  3,464世帯
( 図表説明 ) (昭和62年4月1日現在)
( 図表説明 ) ◆面積  4.09平方キロメートル

- 写真あり -
( 写真説明 ) 東名高速道路のインターチェンジ入口付近

我がまちを語る

望月正己さん 中桁(88歳)
- 写真あり -

目をみはる発展

 伝法地区は、今でこそ家が建ち並び、広い道路もできましたが、私が子供のころは、北部は山林、南部は水田の農業地帯でした。伝法小学校の児童数が400人、500人ぐらいの落ちついた農村でした。
 その時分の楽しみといえばお祭りで、5月3日の浅間さん、8月23日のお地蔵さん(保寿寺)、お日待ちなどは、そりゃあもう楽しみでした。
 市街化は、昭和43年に東名高速道路のインターチェンジ、45年に市庁舎ができてから進みました。
 市庁舎の周辺は、かつて「瓜島のどぶっ田」と呼ばれ、あまりよい場所ではありませんでした。現在の発展した街並みは、昔を知っている者にとって本当に目をみはるものがあります。ただ、反面、農家としては田畑がなくなってきて寂しく感じるときもありますね。
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