【広報ふじ昭和62年】まちかどネットワーク 豊かな湧き水と緑に囲まれ心がふれあう福祉のまち 原田
原田地区は、愛鷹山西麓に位置し、豊富な湧水が今でも流れている地区です。
このため、本市の製紙業の集積がみられる地区で、現在19工場を数えています。
原田の製紙業の始まりは、明治28年、日本最初の機械抄和紙工場として原田製紙会社が操業してからです。今の三島製紙は、大正2年、滝川製紙を買収して操業を始めました。
地区は、東名高速道路から南は工場と住宅との混在地域で、人口密集地域となっています。
また、東名から北は、農業地域で、畑・茶畑が広がる地域でしたが、昭和51年、富士見台団地の造成後、団地南部に宅地化が進んできています。滝川には鑑石園や永明寺があり、庭園に湧水の流れる風光明媚なところです。
特に鑑石園の湧水の中には「かがみ石」と呼ばれる石があって、絶世の美女照天姫が姿を映しては身だしなみを整えた、と言われる伝説が残されています。
- 図表あり -
( 図表説明 ) ◆人口 7,272人
( 図表説明 ) ◆世帯数 1,998世帯(昭和62年1月1日)
( 図表説明 ) ◆面積 4.45平方キロメートル
我がまちを語る
後藤篤美(あつみ)さん 西滝川町(82歳)
- 写真あり -
湧き水で発展
原田地区を語るとき、人と湧き水のかかわりを語らないわけにいきません。原田の湧き水は愛鷹山系と富士山系の両方で、昔は地区のいたるところで湧いていました。
中央を流れる滝川は、豊かな清流で、女衆(おんなしゅう)は川ぶちでお米をといだり、洗濯をしたりして、地域交流の場ともなっていました。
川の周辺には水車を利用した、米つき屋があって、にぎわったこともありました。
その後、水田は製紙会社に変わり、滝川は汚れてしまった時期もありましたが、今は魚釣りができるほどに回復しました。湧き水の量も昔ほどではないにしろ、市内では有数な量だと思います。
原田の人は水に恵まれて豊かな人が多かったためか、ゆったりしていておとなしいと言われます。
今でもその名残はあるかもしれません。
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