私たちのふるさとには、富士山を初め、数多くの名所や伝説が残されています。江戸時代、東海道五十三次の宿場町として栄えた本市は、浮世絵などによって昔を知ることができます。
ここでは、浮世絵と写真で時代の移り変わりを紹介します。
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竹取物語
竹の切り株から生まれたかぐや姫。やがて、成長して月へ帰って行くという「竹取物語」は我が国の最も古い小説だと言われています。
この竹取物語のふるさとが、市内比奈の岡田さん方の竹やぶの中だと言われています。
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浮島沼
昔は広大な沼だった浮島沼は、魚介類の宝庫でした。特にウナギは、柏原の茶屋で蒲焼として売られ、旅人の舌を楽しませました。
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左富士
左富士の名は、東海道を江戸から京へ旅するとき、常に右側に見えている富士山が、このあたりで左側に見えることに由来します。
右から左へと位置を変える富士山に、当時の旅人は目を奪われたことでしょう。
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吉原湊(みなと)(田子の浦港)
「田子の浦ゆ……」と万葉の昔からうたわれた田子浦から見る富士山は余りにも有名です。
江戸時代、吉原湊と呼ばれたこの湊は、今は田子の浦港と名を変えて、国際貿易港として生まれ変わっています。
曽我兄弟の仇討
建久4年(1193年)5月28日の夜、父の仇、工藤祐経(くどうすけつね)を討った曽我五郎、十郎。兄の十郎はその場で討たれ、弟の五郎は捕えられて翌日処刑されました。伝説では、その場所が鷹岡地区と言われています。
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( 写真説明 ) 曽我寺
富士川の渡船
江戸時代、幕府は大きな川に橋をかけさせないという政策をとっていました。日本三大急流の一つ富士川は、歩いて渡るのは不向きで、旅人などは渡し船で渡っていました。
今は、橋がかけられ、東名、新幹線を初め、日本の主要な通路や鉄道が走っています。
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版画提供は市立博物館及び奈木盛雄氏の協力をいただきました