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【広報ふじ昭和61年】まちかどネットワーク 我がまちを語る

さわやかで活力あるまち 丘

 丘地区は、昭和48年、丘小学校が開校したことを契機に、鷹岡地区の厚原、伝法地区の片宿・傘木、大渕地区の末広町が合併してできた地区です。
 厚原地区は、歴史も古く、鎌倉時代に甲斐の人、植松兵庫之助信継が熱原に移り住んで、現在の鷹岡伝法用水路(通称二本樋)をつくり、付近の開拓をしたときから始まります。また、鎌倉時代、入山瀬にあった天台宗滝泉寺の院主代行智と幕府の日連教団弾圧事件は、熱原神四郎の磔(はりつけ)という結末となり歴史上、熱原法難として知られています。
 地区は、近年まで農業地域でしたが、高度経済成長による産業の発展につれ、通勤圏として、ベッドタウン化が進み、特に西富士道路が開通してからは、市内でも1、2位を争う人口急増地区となっています。
 しかし、南部の厚原南は、水田地帯、北部の厚原北・末広町は、茶畑の広がる農業地域で、まだまだ自然の景観が残る地区です。

- 図表あり -
( 図表説明 ) ▲人口  8,113人
( 図表説明 ) ▲世帯数  2,215世帯(61年7月1日現在)
( 図表説明 ) ▲面積  3.94平方キロメートル

- 写真あり -
( 写真説明 ) 丘小学校の開校により丘地区は誕生しました

旺盛な開拓者精神

沢山 降さん 厚原南(64歳)
- 写真あり -

 厚原は昔、熱原と書き、熱い原つまり水がなく、人の住むようなところではないと言われたようです。特に北部は天神山と呼ばれ終戦前後は家が5軒しかありませんでした。水がなく、天水に頼りオーバーに言えば陸の孤島のようなところでした。その後、開拓者精神旺盛な人々の力で少しずつ開け今は400戸以上の家が建っています。昔を知っている人間からすれば、これは驚くべきことです。
 また、1279年に、日蓮宗の弾圧として有名な熱原神四郎の事件がありました。これは、丘地区の反骨心を、今に伝えるものといってもよいでしょう。
 丘地区も将来区画整理が行われると聞いています。これまで培われた開拓者精神と反骨心で、すばらしいまちづくりが行われると思います。
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