【広報ふじ昭和61年】20歳の富士市
21世紀へダッシュ
昭和41年にできた新生富士市は、ことしで20歳を迎えました。ひとくちに20年と言ってもその道のりは決して平たんなものではありませんでした。しかし、公害問題、石油危機などのハードルを乗り越えて足腰の強い青年工業都市となった今、富士山をシンボルに新たな目標に向かってはばたこうとしています。
県東部の中核都市へ
今の富士市は、吉原市、富士市鷹岡町の旧ニ市一町が合併して昭和41年11月1日に産声をあげました。
当時のまちは、面積215.34平方キロメートル、人口は16万4,932人、世帯数は3万7,776世帯で、人口は県内五番目でした。
合併までの経過は決して容易なものではありませんでしたが、古くから岳南地区の一員として、政治、経済、文化、交通など、あらゆる面で密接な関係にあった二市一町が大同団結をしました。
それから20年。20歳となった富士市は、着実な歩みで将来に大きな可能性を秘めた青年工業都市に成長しました。
昭和61年9月1日現在、人口は合併時より約5万3,000人ふえて21万7,918人、世帯数は約2万4,000世帯ふえ、6万2,091世帯となりました。人口では県東部一の都市となり、文字どおり中核都市として重要な役割を果たしてきています。
工業は、地場産業の紙・パルプを中心に、自動車、電気製品、化学、薬品工業などで、製造品出荷額等は、1兆4,245億円(昭和60年)に達しています。これは、浜松市に次いで県内第ニ位です。
一方、商業は、昭和60年の販売額が5,656億円で、合併時に比べて約十倍に伸びました。
公害等諸問題も克服
しかし、富士市も20年間すべてが順調に進んできたわけではありません。
昭和40年代から顕著に見られた、田子の浦港のヘドロや大気汚染などの公害は市民の皆さんの記憶に焼きついていると思います。
また、富士・愛鷹山麓の開発問題は、自然保護や災害防止の面から重要な問題でした。
加えて発生したオイルショックは、富士市の産業にも大きな影響を与えましたが、市民の皆さんの努力でこれらの諸問題を乗り越え、「生産と生活が調和する産業文化都市」づくりが進められました。
その結果、道路・河川・下水道・公園などの生活環境整備、及び医療・福祉・教育・文化・スポーツ施設など、22万都市として必要とされる都市機能の整備も着実に推進されました。
新たなまちづくりを推進
そして、今年、「ふじ21世紀プラン」がスタート。“富士山をシンボルに みどりあふれる 文化と産業のまち”を都市像として掲げています。
これは、予想される東海地震への対策、緑化と都市環境保全の問題、新幹線新駅の設置、大学の誘致、また、やがて来る高齢化社会・高度情報化社会への準備など、21世紀を展望して新たな対応をするものです。
富士市は今、20周年を契機に、明るく豊かで住みよいまちの建設を目指して新たなステップをしようとしています。
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( 図表説明 ) 統計で見る富士市
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( 写真説明 ) 7月に行われた富士市青少年の船で21世紀を担う若者は語り合った
おめでとう 20歳のわが街
市章のとおり順調に発展
鳥居定夫さん(64歳)下横割南
- 写真あり -
鳥居さんは昭和42年、市章の一般公募に応募し、いまの市章を考え出しました。
「私は全くの素人ですので、当選するなんて、夢にも思っていませんでした。同窓会などでは、私の顔を見ると市章を思い出すという人もいまだにいます。富士市は市章のいわれのとおり順調な発展をし、一市民として大変うれしく思っています。青年都市富士市にこれからも期待しています。」
富士市の大きさにびっくり
佐野さゆりさん(23歳)鷹岡本町1
- 写真あり -
さゆりさんは「物心ついたときには富士市民」というOL。
「先日富士登山をして、富士山の大きさもさることながら、富士市の大きさにもびっくり。私たちはすばらしい自然環境のもとにいるんですね。できれば、富士の商店街がもう少しファッショナブルになるといいな。そうすれば、若者にとって、もっと楽しいまちになると思います。」
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