【広報ふじ昭和61年】まちかどネットワーク 我がまちを語る
緑あふれる文化のまち 鷹岡
鷹岡地区は、潤井川の東岸、富士南麓の台地上に開けた地区です。
富士山の豊富な湧水と昔から大宮街道の中間点にあったこのまちは早くから開けました。
明治時代には、富士製紙第一工場(後の王子製紙、現在の新富士製紙)がこの地区で初めて洋紙の製造を開始し、製紙業勃興の発端となりました。
身延線入山瀬駅の周辺は、商店街とそれを囲むように製紙工場の並ぶ住工混在地域であり、久沢東、西地域は、人口の密集地域となっています。
また、地区の南部は水田、北部は茶栽培の農業地域ですが近年宅地化が進んでいます。
地区の南東から北西にかけては国鉄身延線、国道139号線、西富士道路など幹線が横切り、これに沿って旧大宮街道、厚原線など旧来の道路が通る交通量の多い地区です。
また、鷹岡本町地域は、旧鷹岡町の中心街で商店が立ち並んでいます。
- 図表あり -
( 図表説明 ) ▲人口 1万3,096人
( 図表説明 ) ▲世帯数 3,656世帯(61年7月1日現在)
( 図表説明 ) ▲面積 5.05平方キロメートル
- 写真あり -
( 写真説明 ) 交通量の多い鷹岡商店街
我がまちを語る
石川 軍治さん 入山瀬天王町(75歳)
- 写真あり -
先見性に富み真摯
今の鷹岡地区は、三つの大きな契機を乗り越えてきたといえます。
一つは鷹岡伝法用水(通称二本樋)の完成(1186年)です。この用水は水稲の作付面積を拡大し、生産力を増大させました。
二つ目は、明治23年の富士製紙第一工場の進出です。これは鷹岡地区にとって産業革命と呼んでもいいものでした。
富士製紙の近くには、多くの技術者が住み、商店街もできました。
これが現在の鷹岡本町通りで、明治時代にはガス燈がついていたといわれます。
三つ目は、大月線の開通です。
自動車の普及と相まって、地区の北部を発展させ、ベッドタウン化が進みました。
こういう歴史を踏まえてみれば、鷹岡地区の人は概して真摯な気性で、先見性に富んだ人が多いといえます。
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