【広報ふじ昭和61年】まちかどネットワーク 我がまちを語る
心豊かなふれあいと連帯感のあるまち 天間
天間地区は、昭和59年4月鷹岡地区から分離して新しい地区を形成しました。
地区には、県道鷹岡柚木線(通称旧道)、国鉄身延線、国道139号線が南東から北西へ通り、国鉄富士根駅があります。
富士根駅は、富士製紙第2工場(現在の本州製紙富士宮工場)のためにつくられた駅ということもあって、駅周辺は製紙工場が取り囲むようにあり、旧道沿いは東洋インキ工場を含め工場の多い地域です。身延線より北側国道139号線にかけては旧来の集落地域、国道よりさらに北側は茶畑や畑地の広がる地域でしたが、近年ベッドタウン化してきました。
また、南部の潤井川左岸は、昔ながらの水田地帯で、昭和54年4月、天間小学校ができました。
地区には市内最大の縄文遺跡である天間沢遺跡、奈良時代の集落址である代山遺跡があり(両遺跡とも現在は宅地化が進行している)天間沢川の両岸の台地が早くから開かれたことを物語っています。
- 図表あり -
( 図表説明 ) ▲人口 6,477人
( 図表説明 ) ▲世帯数 1,796世帯(61年7月1日現在)
( 図表説明 ) ▲面積 2.58平方キロメートル
- 写真あり -
( 写真説明 ) 天間の天神さんは地域の代表的な祭り
天神さんで地域が和
長橋敏夫さん 天間北1(74歳)
- 写真あり -
天間は天間沢遺跡でも知られるとおり、大昔から人が住んでいました。そのわけは豊富な地下水があったからです。昔は水がなくてアワなどをつくった杉田(富士宮市)の人と比べて「天間低くて米のもち」と言い、人々は湧水を誇りとしていました。毎年8月24日、25日に祭りの行われる天間の天神さんには、水の神様もまつられています。
また、天神さんのお祭りは、地域の融和という意味でも大きな役割を果たしました。
現在の天間は、高度経済成長に合わせて人口がふえましたが、地元生まれの人たちは、ともすれば排他的な一面もありました。
しかし、区をあげて順番に執行する天神さんのお祭りで人々が融和し、今はむしろ地域の行事では、転入してきた人たちが積極的で、活気のある地区となっています。
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