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【広報ふじ昭和61年】ふるさとの昔話

中里の慶昌院の幽霊

 中里1丁目に慶昌院(けいしょういん)というお寺があります。
 この寺は、弘仁10年(819年)弘法大師が建てたといわれ、昔は天念寺と呼んだと伝えられています。今回は、この慶昌院に伝わる幽霊(ゆうれい)のお話です。


お化けの出るお寺

 江戸時代初めのことです。各地をめぐっていた駿府の存鯨和尚(そんげいおしょう)は、荒れはてていた天念寺を見て、そのわけを村人に尋ねました。
 村人は「この寺にはお化けが出るので、だれも寄りつきません。お化けを退治してください」と言いました。
 その晩、和尚はお堂で坐禅を組んでお化けの出るのを待ちました。
 草木も眠る丑(うし)三つどき(真夜中)、怪しい影が和尚に近づきました。
 「わしは、存鯨という坊主だが、そこにいるのはだれか」と静かに尋ねました。あやしい影は「あなたは、迷えるものを救い、成仏でさるように導いてくださるか」と言いました。和尚は「しかり」と答えました。
 鬼の姿をした怪しい影は、たちまち人の姿になって、次のように和尚にたのみました。
 「私は源頼朝公の家来で、成田慶昌という者です。私の兄の曽我兄弟は、親のかたきを討ちましたが、殺されました。私も首をはねられるに違いないと思ったので、切腹しました。死骸(しがい)は松の根元に埋められ祭られましたが、戦国の世となり寺は荒れてしまいました。どうぞ、私が成仏できるよう寺を再興してください」
 和尚が寺の再建を約束すると、成田慶昌の姿は消えました。人々は改めて、ていねいに葬り、供養しました。


子供たちに伝えたい

 中里1丁目の山田とらじさん(72歳)は、「毎年3月21日に、弘法さんのお祭りと一緒に供養しています。年寄りしか話を知らなくなってきたので、子供たちに伝えていきたいね。」と語ってくれました。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 成田慶昌の墓
( 写真説明 ) 山田さん
添付ファイル
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