治承(じしょう)4年(1180年)10月20日、源氏と平氏の大軍が富士川を挟(はさ)んで対陣しました。
その真夜中、甲斐(かい)源氏武田信義の2万の軍勢が、この付近でひそかに行動を起こしました。
このとき、平氏は、葦(あし)の葉に眠っていた数え知れない水鳥が驚いて飛び立った羽音を、敵の夜襲と間違えて一目散に京都へ逃げ帰ったので、平家越という地名になったといいます。
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