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【広報ふじ昭和61年】まちかどネットワーク 我がまちを語る

ふれあいと活気あふれるクリーンとグリーンのまち 富士駅南

 富士駅南地区は、国鉄富士駅の南側を中心に東西に長く広がる地区です。この地は昔、賀嶋といわれ、平安時代からの荘園、賀嶋荘のあったところです。
 この荘園は、岩本実相寺から、元吉原今井、潤井川西岸までを含んでいましたが、両端の地を除き、富士川が乱流していて、わずかの微高地に集落が点在していたにすぎませんでした。
 しかし、江戸時代初期、古郡孫太夫父子三代による「かりがね堤」の完成で新田が開発され、加島五千石といわれる稲作地となりました。
 地区は、近年まで昔の面影を残していましたが、駅前の区画整理また、高度経済成長期の人口流入も重なり、国鉄富士駅に近いという地の利もあって、住宅地として発展してきました。
 水戸島の南西の地域は、水田と特産「富士ナシ」の果樹園の広がる田園地帯として残っています。
 また、地区の東は、東芝、大昭和の二大企業を初めとする工業地帯となっています。

- 図表あり -
( 図表説明 ) ▲人口  9,851人
( 図表説明 ) ▲世帯数  2,965世帯(61年4月1日現在)
( 図表説明 ) ▲面積  2.90平方キロメートル

- 写真あり -
( 写真説明 ) 新幹線新駅との接続地域として発展が予想される駅南地区

発展が楽しみな街

佐野一郎さん 水戸島本町(75歳)
- 写真あり -

 富士駅南地区は、戦前まで一面のナシ畑でした。終戦後は、交通の便がよい上、地域にある東芝や大昭和製紙富士工場などが大きくなり、人口がふえていきました。
 そして、田子の浦港の開港により進出した企業の関係者も多く転入してきました。
 人がふえれば商店もできるというわけで、現在のような街になりました。ですから、早い遅いの差こそあれ、大部分が戦後住み出した人ばかりです。
 この地区の人は、みんな人柄のよいのが特徴です。頼まれるといやと言えない人が多く、やり出すととことんやるタイプです。そのせいか、地区の体育祭はほとんどの家が参加し、大変にぎやかです。
 これから新幹線新駅ができると、この地区は富士駅との接続部分に当たり、発展が楽しみです。
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