安政元年(1854年)11月4日午前9時ごろ、東海地方を大地震が襲いました。マグニチュード8.4、震源地は遠州灘付近で、市内の村々は大被害を受けました。
岩本村は皆つぶれ289軒、前田村はつぶれない家が2軒だけ、伝法村は田端と中桁で皆つぶれ25軒というありさまでした。水神の森の南側は土地が隆起し、今でも地震山と呼ばれています。
この地震のとき、日本に開国を求め下田に来ていたのがロシア使節のプチャーチンです。乗っていたディアナ号は、地震の津波で船体を破損し、修理のため戸田に向かいました。
ところが、強い西風で新浜沖まで流された上、浸水もひどく、いかりを降ろして乗組員はボートで脱出しました。
ディアナ号は沈没してしまい、いかりは昭和51年引き揚げられ、三四軒屋の公園に保存されています。
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( 写真説明 ) ディアナ号のいかり