19世紀の初め、文化・文政のころは農村でも俳句が盛んでした。
この地方を代表する俳人といえば比奈の松井菅雅(かんが)(1769〜1818)をあげることができます。菅雅は去留(きょりゅう)の弟子で江戸に学び、駿府で時雨窓(しぐれそう)の代表者として活躍しました。
原田の妙善寺観音堂には46首の俳句が刻まれた額があります。これは、享和(きょうわ)3年(1803)吉永の渡辺佳亨(かりょう)が江戸・興津・沼津などから当時一流の俳人を呼んで俳席を設けたものです。
吉原第二中学校(今泉)東側の十王子神社にも句額があります。奉納されたのは文政12年(1829)で、句の数は49、納句の顔ぶれから相当大きな集まりだったと推察されます。
これらは、この地域の俳句活動が盛んであったことを示しています。
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( 写真説明 ) 中比奈にある菅雅の句碑