神谷・増川・江尾などの愛鷹山(あしたかやま)の裾野(すその)には、源頼朝(みなもとのよりとも)に関係する地名がいくつか残っています。
今回は、神谷2丁目の長老後藤宇一さん(87歳)と地元の老人会「楽笑会」の皆さんに教えていただいた地名の話です。
1192年、源頼朝は鎌倉幕府(かまくらばくふ)を開きました。頼朝は、弓術(きゅうじゅつ)や馬術(ばじゅつ)などの武芸を重んじ、富士山の裾野で巻き狩り(狩場を四方から取り巻き、けものを囲んで捕える)を行いました。
正月坂
根方街道の神谷2丁目から3キロメートルほど登ったところにある地名です。頼朝が巻き狩りにきたとき、ここで正月を過ごしたと言われています。今は山林と茶畑になっています。
研石(といし)
正月坂を越えて農道をさらに登ったところの地名です。後藤さんが50歳ごろまでは、道の東側に三角すいの大きな石がありました。頼朝がここを通ったとき、その石で刀を研いだと伝えられています。
的場平(まとばだいら)
正月坂の近くで、ここで弓矢の練習をしたといわれます。
びんなで石
増川の北に御殿場上というところがあり、石のそばから清水が湧き出ています。頼朝がこの石に腰をかけて、泉の水でびんのほつれをなでつけたと言われています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 「この辺が正月坂だよ」
( 写真説明 ) 後藤さん