ことし、富士市は20歳を迎えます。この20年間、工業都市として順調に発展し、県東部の中核都市になりましたが、いろいろなできごとがありました。
公害問題、富士山麓の開発規制、各種公共施設の建設、新幹線富士駅の建設などはまだ記憶に新しいことです。
これらの市勢発展の歴史を振り返り、21世紀への出発の年として各種の20周年記念事業を計画しています。新時代を迎える都市として、“富士山をシンボルにみどりあふれる文化と産業のまち”をテーマにまちづくりを進めていきます。
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( 写真説明 ) 昭和41年11月1日、吉原市、富士市、鷹岡町が合併して、新生富士市が誕生しました。当時の人口は約16万5,000人でした。
( 写真説明 ) 日本の大動脈となる東名高速道路が部分開通しました。
富士、静岡間が昭和43年4月、次いで御殿場までが昭和44年3月に開通し、高速道路時代の幕あけとなりました。
( 写真説明 ) 富士市の自然を守るため、富士愛鷹山麓の乱開発防止に、行政と市民が立ち上がりました。
数多くのゴルフ場建設計画がありましたが、このことがあって、富士市の自然が守られました。
( 写真説明 ) 合併以来続けられていた分散事務方式が、庁舎の完成によって統合されました。開庁は、昭和45年4月1日でした。
( 写真説明 ) 田子の浦港のヘドロ処理が昭和46年4月始まりました。富士川河川敷でのヘドロ脱水処理跡地へ現在の緑地公園ができています。
( 写真説明 ) 全国で初めての雨水調整ダムが、大渕片倉に昭和58年から3か年をかけて建設されました。災害に強いまちづくりへの力強い第一歩でした。
( 写真説明 ) 昭和59年は富士市の記念すべき年になりました。8月には高度医療を目指した市立中央病院が開院、10月には待望久しかった新幹線富士駅の設置が決定したのでした。