源氏と平家の戦いにゆかりのある名前が、市内にはいくつか残されています。
1180年、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流されていた源頼朝(みなもとのよりとも)は、源氏(げんじ)再興(さいこう)平清盛(たいらのきよもり)打倒(だとう)を念願(ねんがん)して兵を挙(あ)げました。一度は石橋山でつまずいたものの、すぐに勢力を盛り返し、富士川をはさんで平家軍と対しました。この富士川の合戦は、平家軍が水鳥の羽音を源氏の夜襲(やしゅう)と聞違えて敗走しましたが、このとき源氏の軍勢20万の主力は、今泉原田地区を中心に陣をしきました。宇東川には軍兵を呼子の笛で集めたところと伝えられる呼子坂(よびこざか)があります。
市内には、ほかにも平家越、和田川、源太坂など源平の戦いに関係する名前があります。
(文は、郷土史家鈴木富男氏の著書を参考にしています。)
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( 写真説明 ) 宇東川の呼子坂の碑