富士山は、その美しさ、気高い姿から多くの人々に歌や詩としてうたわれてきました。
奈良時代(710〜794)、万葉の歌人山部(やまべ)の赤人(あかひと)が「田子の浦ゆ−」とうたったのは、あまりにも有名です。万葉集には、「富士山」「田児ノ浦(たごのうら)」「潤井川(うるいがわ)」など駿河に関連した歌は多く、35首にのぼっています。
また、大きな山や木や石などに神が宿ると信じた古代の人々の心を強くとらえたのも富士山でした。
富士山が噴火を続けているのは浅間(あさま)の大神(おおかみ)のしわざであるから、大神の御心を静めようとよく富士山の見えるところに浅間神社が創立されました。浅間神社の多くが湧水地に祭られていますが、これは水の徳をもった神(木花咲耶姫(このはなさくやひめ))を祭って富士山の噴火を静めようとしたものです。
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( 写真説明 ) 田子の浦港西岸の碑