増川の「浅間(せんげん)古墳」は、尾根(おね)の先端部分、須津の「千人塚(せんにんづか)古墳」や船津の「稲荷塚(いなりづか)古墳」は谷の川沿いの緩(ゆる)やかな斜面にあります。このことから、葬(ほうむ)られた人が生前支配していた所が見え、さらに畑などに適さない荒地(あれち)に多く造られたことがわかります。しかし、伝法の「伊勢塚(いせづか)古墳」のように、平地の部落近くに造られたものもあります。
愛鷹(あしたか)山の南側に多くの古墳が見られますが、これは古墳時代愛鷹山の南側に浮島沼が広がっていたため、その周辺にはたくさんの水田が拓(ひら)けていました。
このため、ここに多くの古墳が造られました。
また、古墳が山の中まであるため、現在まで壊(こわ)されないで残っていたものも多くあります。
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( 写真説明 ) 須津の千人塚古墳