伝法の西平第1号墳からは、蕨手刀と呼ばれる刀が出土しました。この刀は、古墳時代の終り頃から奈良時代にかけて盛んに造られた刀で、柄頭(つかがしら)(柄の端)が渦状となり、蕨の若芽に似ていることから付けられた名前です。この蕨手刀は主に東北地方から北海道にかけて多く出土するため、当時、朝廷によって行われた蝦夷征討に使われた刀といわれています。
この時代は、いままでの豪族による支配から、朝廷の直接支配に変わる律令社会への過渡期で、富士郡のように大きな混乱もなく律令社会へ変わったものと、九州や東北、北海道のように内乱を起すものがありました。
特に東北、北海道では内乱が激しく、朝廷ではこの征討を東海や北陸地方の豪族に命じ、これに必要な蕨手刀などの武器を与えました。西平第1号墳の被葬者もこの蕨手刀を持ち、軍を率いて速く東北や北海道に出兵したことでしょう。
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