大渕落合町の小高い丘に「帳塚様(ちょうづかさん)」と呼ばれている碑が建っています。
これは、今から200年程前この地方に飢饉(ききん)があったとき、自分の身の危険も顧みず、年貢を軽くしてくれと、代官所に願い出て、死罪となった落合の名主新右衛門を供養したものです。
新右衛門の末えいにあたる
勝亦まつ江さん (63歳)
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直訴(じきそ)で打首に
江戸時代の農民は年貢が厳しく、飢饉があると生きることも困難でした。
落合の名主新右衛円は、日頃から村の作高と年貢の関係を詳しく帳面につけ、年貢が支障なく納められるよう調べていました。
この地方を襲った飢饉の時、新右衛門はこの調査に基づいて年貢を軽くしてもらいたいとの訴状を書いて代官所へ願い出ました。
しかし、直訴の罪でよく調べもせす打首となりましたが、あとで持参の書類を見た役人は、これは殺す男ではなかったと悔やんだといいます。
新右衛門の犠牲によってその後村の年貢は軽くなり、それから数十年たって、落合、中野、片倉、三ツ沢の4か村が施主となり新右衛門の家の近くに訴状の下書、血判状の控、その他書き綴った帳面を埋めて碑を建て、帳塚と呼び供養しました。
新右衛門の末えいにあたる勝亦まつ江さんは、数年前まではよく帳嫁さんの掃除に行っていましたと語ってくれました。
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( 写真説明 ) 新右衛門の供妻塔「帳塚様」