今泉の沖田遺跡からは、古墳時代の矢板と呼ばれる田の畔を作るために使ったクイが出土しました。
古墳時代の農業は、弥生時代のような自然を利用した農業ではなく、村人たちが人工的に田畑を拓いて行った農業でした。特に、水田ではこのような矢板を使い、多くの畔を作るなど大規模なかんがいや排水工事を行いました。また、斜面や沼を水田に変え、荒地を開懇して畑を作り米や作物の増産に努めたのです。
収穫技術も穂刈りから根元刈りに変わり、収穫効率も良くなったことでしょう。
ところが、このように苦労して収穫した米や作物の大半は、地域の支配者に税として納めなければならなかったのです。
また、古墳築造などの労働力として動員されるなど華やかな支配階級に比べ、村人たちは重税と労働力の動員などに苦しんでいました。
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( 写真説明 ) 沖田遺跡から出土した水田用のクイ