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【広報ふじ昭和58年】加島平野を救った雁堤(かりがねづつみ)

古郡親子の偉業を称える

市指定史跡に決まる

 市は、雁提築造事業を称え、昔の人たちの努力に感謝しようと、6月25日この堤防を富士市の史跡に指定しました。
 日本三大急流のひとつとして名高い富士川。
 現在では、急流のほどを知る水量はなくなっていますが、昔はあばれ川として、洪水によって、しばしば流れを変え、この地の開発を阻んでいました。
 治水による新田開発は永い間の課題であり、この難事業も古郡重高、重政、重年親子三代にわたる雁堤築造の成功によって解決しました。



市史跡指定までの経過

 昭和57年9月8日、市文化財審議会に市指定文化財候補として調査を願い、雁堤を管現している建設省と協議して指定の同意を確認しました。
 昭和58年5月12日市文化財審議会へ指定について諮問し、審議会全員一致で指定の承認を得ました。
 指定の理由は、雁堤の築造は、富士市今日の発展、繁栄の基礎となるもので、古郡氏三代の偉業を称えると同時に、当時の先進土木技術の結集として文化財価値が非常に大きいこと。
 現在、雁堤は建設省が管理していますが、一部改修が行われているにしてもよく旧形を残していて、将来にわたって保存が可能であることがあげられます。



雁堤の概要

 市指定史跡になった雁堤は、全長2.7キロメートル、高さ5.5〜7.3メートル、馬踏平均10メートル、堤敷33〜46メートルと大きなものです。
 雁堤の名称は、形が雁の連なり飛ぶことになぞられてつけられました。
 堤防の特徴は、下備前から水神森にかけての逆L字型部分の遊水地です。
 富士川の急流を何本かの堤防で水の流れを弱め、なおかつ遊水地で水を回しながら下流に流す工夫がなされていることです。

雁堤の概要

 雁堤の概要富士川は、江戸時代初めごろまで、加島平野(現富士地区)を東南に向かって、いく筋にも流れ、新田開発するには、まず富士川の流れを変える必要がありました。
 古郡重高は、富士川の流れを西へ傾けようと、現在の一番出し、二番出しを築き、新田開発にのりだしました。



2,820石の新田洪水でひと流れ

 父の意志を受け継いだ重政は、駿河大納言忠長によって岩本代官にあてられたこともあり、なんとしても新田開発を実現してみたい意欲にかられました。
 新田開発に着手してから25年もたつと、2,820石余の新田も開かれましたが、堤防は、蛇籠のようなもので築かれていましたから、万治3年(1660年)の大洪水にはひとたまりもありませんでした。



富士川の性質を徹底的に研究

 重政は、ただちに復旧工事にとりかかり、田畑を流されないようにするにはと、毎日富士川の流れを一望できる岩本山などに登り、富士川の性質を徹底的に研究しました。
 重政の計画した新しい堤防は、堤防のふところを大きくした遊水堤でした。しかし重政もまもなく永年の疲労のため、寛文4年(1664年)その生涯を閉じ、その子重年に継がれ、重年は7年の歳月を費して堤防の完成に心血を注ぎました。



難工事を想像させる人柱

 このような巨大な堤防を築くとなれば、完成するまでに想像もできないような困難なことがあったのはいうまでもなく、重年が工事につきまとう人柱の迷信を信じ、それを建てたと伝えられています。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 雁の連なり飛ぶ形にそっくりな雁堤

護所神社

 堤が最も高く築造された部分の一角に護所神社があります。
 これは人柱となった人の霊を、この堤防の守護神として、いまも祭っている神社です。
 通行者のうち1,000人目の人を人柱にたてる、と願を立てていた古郡重年の前に1,000人目にあたる人が2人同時に着きました。
 一人は男の巡礼者でもう一人は若い女巡礼者でした。
 重年は、2人に人柱のことを伝え協力を求めましたが、突然言われた2人は返事にこまり、まだ行くところもありましたので3か月待ってほしいと答え巡礼に旅立ちました。
 3か月たつと約束どおり帰って来て、男の巡礼が「私が人柱になります。若い巡礼をくれぐれも頼みます。」といって人柱になりました。
 人々は、その人柱の心情に深く心をうたれ、一進一退する工事にともすると挫折感の高まる日々でしたが、勇気づけられたことは確かでした。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 護所神社


常盤修一さん(67歳) 氏子責任総代 橋下
- 写真あり -

 雁堤が、市史跡の指定を受けたことは喜ばしいですね。
 雁堤の恩恵を受けている富士市民にとって古郡氏の功績を後世に伝えることは、我々の責任である。
 護所神社の祭りをするたびに思いおこしてほしいですね。
 祭りをもっともっと大きくして、みんなで感謝の気持ちを表わすようになればと考えているんですが…。



加藤周造さん(74歳) 農業 橋下
- 写真あり -

 橋下も昔は35軒ぐらいしかなく、周りは田んほばかりだった。
 わしが、学校を卒業してすぐだったから、16歳の時だったが、当時雁堤を管理していた内務省が堤防の補強工事をしていて、わしも仕事にでたものだよ。
 機械がなかったからすべて人力で、大勢の人が来ていた。
 きつい仕事でね。江戸時代の人たちはよくやったと思うよ。えらかったね。

雁堤はみんなの宝

 橋下区では、毎年、雁堤を守る護所神社の祭典を・神社の氏子と協力して行ってきました。
 特に今年は、7月9日の前夜祭を盛大にやろうという、町内青壮年会の呼びかけに子どもも大人も協力。連日練習した太鼓や踊りを渡辺市長はじめ招待した人たちの前で披露し、古郡親子三代の偉業に感謝しました。地元の人たちは、「この祭りをもっともっと広め、将来は全市的な祭りにしていきたい」と話していました。

- 写真あり -
( 写真説明 ) ばちを持つ手にも力が入る
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