明治の末年、吉原教会に山中 笑(えむ)(号を共古 きょうこ)という牧師がいました。民俗学者としても知られた彼は、吉原での生活を見聞記録「吉居(きっきょ)雑話」としてまとめ、当時の伝説や年中行事わらべうたなどを紹介しています。
すでに、昨年12月5日発行の広報ふじで、「石坂の鶏頭豆(けいとうまめ)」という伝説を紹介しましたが、今回は、史話とわらべうたを紹介します。
三日市場浅間神社の湧水
伝法の三日市場浅間神社からは、豊富な湧水が出ており、今泉村ではこの水を引き、田を作っていました。
水代として、毎年、年貢7俵を納めることを約束しましたが、不作つづきのため納めることができません。神社では、年貢のことを村にもちかけると、村人たちは「大変申し訳ありません」と謝りましたが、納めるお米がありません。
そこで、やはりここの神社の水を使っている、日野屋という酒造屋へ相談したところ、日野屋では心よくこの7俵の米を神社へ納めてくれました。それ以来、維新まで毎年納めてくれたとのことです。
富士のわらべうた
- 図表あり -
( 図表説明 ) 吉原の羽根つきうた
*お年寄の中には、子どものころ唄った人もいるかも知れませんネ…。
・おきよ−よお京 ねさん十よお京よお京 ねさん二十よ お京よお京 ねさん三十よ(百まで繰り返し、また元へ戻る)
・一人きな二人きな 見てきな寄ってきな いつきたむこどん ななこの帯をやの字に結んで ここのやじや十よ (富士東高校教諭 加藤善夫さん)