東坂古墳が築かれた5世紀頃(今から1,500年ほど前)の各地方の首長は、大王(おおきみ)(天皇の古い呼び名)を中心として権力や財力を大きくしていきました。これにしたがって、「マツリ」や「儀式」を行って政治の方針を決める司祭(しさい)者としての首長の役割は後退し、形式化するようになりました。
それは、「政治」が文字通り「マツリゴト」であったものが、「マツリ」と「政治」に分けられはじめた時期にあたります。
古い書物によれば、その「マツリ」は、銅製の鏡を中心として、軟かい石で実物より小さく作った仮器と呼ばれる、武器類や玉類・農工具を実物のかわりとして、榊(さかき)の枝にかけて神霊をしずめ、「五穀豊饒(ごこくほうじょう)」を祈ったといわれます。
この琴柱形石製品は、形が柱に似ていることからこう呼ばれていますが、本来の形、用途は明らかではありません。一説には、ペンダントにも用いられたといわれますが、静岡県内でも出土例が少いことからも、特別な霊力があった宝器と考えられていたようです。
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