語ってくれた人 門田徳雄さん(54歳)(吉永第一小教諭)
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明治10年代まで、各地で霊場(札所)めぐりが盛んに行われていました。静岡県東部には、伊豆駿河横道33か所があります。市内では、17番増川の福聚院、18番滝川の妙善寺、19番入山瀬福泉寺がそうです。
鵜無ヶ渕にもあった霊場
伊豆各駿河横道33か所は、1番から33番まで、霊場がはっきりとわかっています。しかし、これとは別に駿河北部を中心とした「観音横道巡礼(33か所)」がありました。これは、29か所しかわかっていません。(沼津民俗資料館絵馬展より)
ところが、鵜無ヶ渕の観音堂の広場の片すみに、小さな長方形の石に「横道三十三所観世音菩薩」と記してあります。(写真参照)
このことは、この観音堂が「観音横道巡礼(33か所)」のひとつてあったことを証すものではないでしょうか。地区の人々に聞いても、このことはわかりませんでした。
もう1か所、霊場めぐりが盛んであった事を示すものに赤渕橋(富士岡−中里間)の西、六地蔵堂の横に石碑があり、それには「駿河横道順(巡)礼供養塔」と銘記されています。これは、参拝途中に遭難した巡礼のためのものでしょう。
いずれにしても、この2つの石碑があることは、霊場巡りが盛んであったことを示しています。
*この話しは、吉永第一小PTAの学習会「吉永の歴史と習俗」からのものです。
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( 写真説明 ) 駿河横道三十三所巡礼の一つであったことを示す石碑