愛鷹山南麓の丘陵上、現在、県立吉原工業高校敷地内には、東坂古墳と呼ばれた前方後円墳がありました。この古墳からは、鏡(かがみ)・玉(たま)・直刀などの外、たくさんの遺物と共に石釧(いしぐしろ)と呼ばれる腕飾(うでかざり)りが出土しました。
腕飾(うでかざ)りは、1万年程前の縄文時代の初めから、土製のものや二枚貝の貝殻の中央に穴をあけたのもがありました。
2,000年程前の弥生時代になると、大型の巻貝を輪切りにした貝輪(かいわ)と呼ばれるものの外、青銅製のものも作られるようになりました。これらは、いずれも実用的なブレスレットとして使われていました。
しかし、1,500年程前の古墳時代になると、東坂古墳出土のような美しい緑色をした碧玉岩(へきぎょくがん)製の腕飾(うでかざ)りも作られるようになりました。これは、頚飾(くびかざ)りにもみられるように、緑を生命力の色とした古代思想によるものと考えられます。
この碧玉製腕飾(へきぎょくせいうでかざ)りは、石釧の外に鍬形石(くわがたいし)・車輪石(しゃりんせき)の3種があり、これらは中央の政治指導者が、各地の首長に地域の支配者の明かしとして分配したといわれています。
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