富士本町通りから旧東海道を西へ500メートルほど向かうと、札の辻橋にさしかかります。「札の辻」というのは、その昔、実相寺が全国でも名の知られたお寺として栄えていたころ、参拝に来た人たちが、ここでお札を買ったので付けられた、といわれています。
海野嘉一さん
平垣町(64歳)
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実相寺へあと一里
札の辻橋は、平垣本町の東京電力西側を流れる共同掘に架けられた、長さ5メートル、幅6メートルほどの橋です。ここから西へ約4キロメートルほどの所に実相寺があります。
岩本山を背にした実相寺は、今から800余年前の久安年間、鳥羽法皇(とばほうおう)の仰(おお)せにより建てられたといれれてします。当時、西に比叡山(ひえいざん)、東の実相寺とまでうたれれ、全国でも有名なお寺でした。
寺には、何百人という修業僧が勉学し、ここで寮生活を送っていたそうてす。寺の敷地も広く、一里(約4キロ)、四方あり、南は現在の平垣まであったということです。
ちょうど、札の辻橋付近が境となり、全国から
訪れる修業僧や信者たちは、ここでお札を買い境内へ向っていったのてはないでしょうか。お寺の山門のようなものが、ここにあったのかもしれません。
旧東海道が通っているこの付近は相当昔から人家があり、栄えていたと思えるんです。昔、この付近は富士川の河原だった、といれれますがそれは間違いですね……。
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( 写真説明 ) 東京電力(平垣)横の「札の辻橋」