語ってくれた人
山本登喜夫さん(72歳) 中里1丁目
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むかし、赤渕川が沼にそそいでいた場所は、今の清勇というところで、樹木がうっそうと茂り、沼では一番魚の釣れるところだった。しかし、土手には狐(きつね)がたくさんいて人が魚を釣っていると、後ろに置いてあるビクごとさらっていくことが度々あった。
狐汁にでもするか…
ある日、清勇(せいゆう)近くの村の、源助という百姓が釣をしていた。この日は、特によく釣れ、ビクがいっぱいになったので、「さて、帰ろうかな」とビクの中を見ると空(から)っぽ。「ハハーン、狐の仕わざだナ」と思ったが知らんふり。また、釣を始めると、黒いものが「サツー」とビクの中へ。源助は「それっ」とばかり、ビクのふたを縄で締めてしもうた。家に帰ってから、「さて、狐汁にでもするか」と仕たくをすると、「助けてくれー、これからは悪さはしないから……」。狐が泣きながらいうので、源肋は「それなら、この村から婆を消したら助けてやろう」といって放してやった。
すると、この狐は川向こう(今の富士川)の財産家の娘に取付き、その娘は病気になってしもうた。
いくらお医者さんに診てもらつても治(なお)らず、そこで神主されにみてもらったところ、娘さんには弧が取付ており、その狐の一番恐いのは、川向こうの源助さん、ということがわかったそうだ。
家の人たらは、さっそく源助さんを連れて来て、娘に会わそうとした。
とこうが、源助さんが家の戸口まで来ると、娘はあれてて逃げたかと思うと、パッタリとその場に倒れてしもうた。そして、狐は娘から逃げ、その娘は、元気をとり戻したとサ。
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( 写真説明 ) この附近には昔たくさんの狐が...