明治末年、日本メソジスト吉原教会に山中笑(えむ)さんという牧師がいました。彼は号を共古(きょうこ)といい、「吉居雑話(きっきょざつわ)」と題する民俗学的な著作をまとめました。
今回は県立富士東高校の加藤善夫(かとうよしお)先生のご協力を得て、「山中共古調査ノート」の中からのお話しです。
弘法大師が通りかかって
ある秋の日、名僧弘法大師が旅の途中、石坂を通りかかりますと、農家の老婆が大声で老夫を罵って(ののしって)いるのが目にとまりました。
「いったいどうされたというのじゃ」「これはこれはお坊様、まあ、ちよっくら聞いてください……。」
老婆の話すには、今年に限ってどうしたわけか、老夫は畑に豆をまくのを忘れて、鶏頭(けいとう)の種だけまいてしまったというのです。
「みてくだせエ。豆は一つぶも収穫されず、これでは味噌も何んにも作ることも出来ねえです。」
なるほど畑は一面真赤な鶏頭の花が見事なほど咲きほこっていました。大師は静かに笑って老夫婦に向い、「これに鶏豆(けいとう)という豆が出来るから今に見ていなさい。」と言って立ち去りました。
それからというもの、この石坂には鶏頭豆という大豆に似た豆か収穫されるようになったということです。
この豆は1本の木から2合(0.36リットル)の豆がとれましたが、いつの間にか栽培する人も絶えてしまったようです。
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